基 本 四 柱 

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あの道へ 

 

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投稿 2014 06 04~

 

 

 

 

紛 失 の 存 在

「無形の有」の無

 

 

新商品のサンプルを提出したら、コテンパンにくさされ、ぼろくそに言われた。

などということを、何度となく耳にしたことがある。

そのサンプルの出来栄えもあろうが、それは制作者の製造能力の表れであり、

その時の創作熱意が作り上げた商品だ。

それを、言葉選ばず、ただただ、コテンパンにくさす。

これなら、次のやる気を引き起こす、原動力にはなれない。

何度もいうが、そのサンプルは、本人の今の創作能力であることを、知るべき

です。そのうえで、製作者の次のレベルUPにつながる、言葉を選びだし、

やる気を起こさせることが、肝要ではなかろうか。

何であれ、創作したその熱意を、認めてあげなければいけない。

そんな悠長なことをしていられるか、という声が聞こえてくるようだ。

でも、いくら急がせても、ネジを巻きあげても、人はタケノコではない。

一夜、一日、一週間、一ヶ月で急激な成長は望めない。

それでも、納得ができない人は、自分の人選の誤りであったと気づくべきだ。

過度に責任だけを押し付けるということは、人間形成の器に、鬱というひびを

入れかねない。私はそのようなひびの入った器を、何度となく見せられてきた。

これから話すはなしは、今の問題とは少し違う。

だが、人選という選択肢ではどうであろうか。

ある日、Z会社が倒産した会社から、そこの工場長を採用した。

物づくりの経験重視の採用であろう。

入社して配属になった部署は、商品開発部であった。

Z社の社員は、その経験を疑うことなく新商品誕生に期待をした。

新商品開発の重責は、並の経験では乗り切っていけないことを、社員全員が、

痛いほど知っていたからである。

この話を聞いた私は、新商品のネタがあるのなら、なぜ前会社が倒産する前に、

新商品を連発で作り販売しなかったのだろうか。

という素朴な疑問を抱いた。

そうしたなら、会社は傾くだけで持ちこたえたかもしれない。

色々な予測が頭のなかで交差するのである。

でも予測は予測でその範囲を超えることがなかった。

勿論、内情も何も知らずに、口だけ開いているに過ぎないのだが。

私は倒産した前工場長の新商品開発能力に、疑問を抱いていた。

まだ、それらしきものなど、見聞きしたことがない。

一度だけ、Z社製品のコピーもどき商品を作ったが、新商品というには、

はるかに遠い商品であった。

長方形の製品を、丸形にしたようなものだ。

皆さんの期待通りの働きであってほしいものである。

 

 

 

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紛 失 の 存 在

見失う立場

 

 

実は、この倒産した会社で働こうと思い、募集に応じたことがある。

面接のその日、決められた時間内に来て、玄関で呼べ、ど叫べど、ひとつも

返事がなかった。本当に、ここが玄関なのかどうか、不安であった。

面接時間が、だんだんと迫ってきていたからである。

私は、仕方なく無断で玄関をあがり、廊下伝いに歩いた。

廊下の上やら下などを見ながら歩いていると、若い男の人と会った。

事務所はどこでしょうか?と尋ねた。

彼は指を一本立てて、上をさしたのである。

ああっ。ここにも、知的障害労務者がいるンだ、と彼の行動に納得をし、

二階にあがる階段を見つけた。

その階段もそうであったが、そこまで来る廊下の両隅には、大きな綿ゴミが、

そこを通るたびに、かすかに揺れていたのを今でも覚えている。

ここは、そう遠くないうちに、潰れるなあ…。と思いながら、面接場所に

たどり着いた。

私の面接に応じてくれたのは、常務さんで女性であった。

彼女は私の履歴書を見ながら、食品メーカーさんに勤めていたンですか? 

それからというもの、彼女は、今のこの会社の置かれている現状を、唐突と

話し始めたのである。

社長との意見の相違。その溝の埋め方。人の使い方。製造管理。数字が示

す製造の在り方。営業業務を持たない、製造工場の在り方、など、たくさん

聞いてきたのである。

それは、私の経験上答えられる質問であった。

勿論、その答えが正解だとは思ってもいない。

それからも、常務さんとは、質疑応答みたいなかたちで交わっていた。

私は常務さんに、面接でこのようなお話しをしていてもいいンですかと、

何度も言った。

彼女は、解っています、でも、もう少し、お話しを聞かせてください、

とても勉強になります。と言いながら、また、口を開いた。

余程、自分の心のなかで、誰かに進むべき道を、手を取り、背を押され、

歩き出したかったのだろうと、ひしひしと私には感じられた。

廊下の両隅に揺れていた綿ゴミが、彼女の心中を表しているようであった。

ここは食品工場であるということが、彼女の心から離れていたように感じた。 当た

り前のことを、極、普通に行うということが、いかほどに難しいことか。

当たり前のことを普通に行うということは、いったいどいうことなのか?

たとえば、

言うことを聞きなさい、といっても聞かない。

嘘をいってはいけません、と言っても嘘をつく。

人を騙してはいけません、といっても騙す。

盗みはダメです、といっても盗む。

喧嘩をしてはいけない、と言っても喧嘩をする。

これは、子供に言い聞かせているのではない。

大人が行っていることなのだ。

当たり前のことを、ごく、極、普通になかなかできない。

これは大変、難しいことなのだと、仏教は説いている。われわれは、このような動

かしがたい事実のなかで、生かされている。

避けられない試練と思い、前向きに取り組んでいくしかない。

この当たり前に、私は感謝をする。では、失礼します。

悉有仏でした。

 

 

 

 

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~ 投稿 2014 06 05

 

 

 

 

 

 

知らぬ事に気づいた自分を 褒めたたえてあげよう  

何故なら 知らぬ事にさえ知らぬ人が 沢山いるからである

 

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