随筆 限界峠を超えて

カムチャツカの真実 8

蟹工船 協宝丸の世界

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カフラン沖

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カムチャツカ  蟹工船

1970 「協宝丸」乗船

1971 「晴風丸」乗船









カムチャツカ漁場航路図

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記憶をたどり書き続ける ノンフィクション物語

タラバ蟹缶詰製造工程

母船で作られたタラバ蟹缶詰は、当時の生産数の八割が輸出向けだという。

定かではないが、当時の価格は一缶八百円と聞いていた。

もしこの価格が、本当であれば、

女工節

女工~ 女工~~と~

みさげ~る~な~  (コ~リャ~) 

女工さんの 詰めた~  缶詰は~ 

横浜~検査に~ 合格し~  

女工さんのほまれが~  外国へ~  

である。

われわれは、女工ではなく、男工だけど。

海上作業

投網から母船荷揚げまでは海上作業である。 

独航船は投網   川崎船は網揚げ・蟹外し   川崎船から蟹は母船へと移される。

川崎船

タラバ蟹缶詰製造工程

一 脱甲

川崎船から母船へあげられたタラバ蟹は、脚と爪を甲羅からはずされる。

この作業を脱甲という。最初の脱甲作業は裁割の男たちもする。

脱甲は、甲羅の裏を足で踏み、カニ脚を両手で持ち引っ張るのである。

蟹のベトやミソ、内臓がでて一番汚れる作業である。

脱甲が間に合わない場合は、船関係の若い船員が毎日でもかりだされる。

ミゾレの吹雪のなか、彼らは頭からずぶ濡れになりながら、汚い作業をしていた。

ここで甲羅の直径三十㎝を超える、超大物の蟹が見つかる。

このぐらいの蟹が、甲板をノソノソと歩いているのを見たら、

ちょっと後ろに下がってしまう。

二 洗浄

脱甲した脚を、大きなタモに入れる。

そのタモを、ウインチで何度も海へ投入する。

脚や爪に付着した汚れを、海水で洗浄する作業である。

タモの大きさは、縦が三m、横幅も二m以上だ。

その中にタラバの脚が、びっしり入っている。

三 ボイル

洗浄後、そのまま海水蒸気ボイル釜へ投入。ボイル釜は四つある。

ボイル釜の大きさは一坪位、深さは二m位だ。

ボイル時間は、三十分ぐらいではなかったか。

塩味が絶妙なのである

四 ボイル冷却

ボイル終了後、冷却とボイルベトを洗い落とすために、また海水へ何度も投入される。

五 裁割  

海水で冷却された脚を、直径五mの裁割用テーブルの上にあける。

ここまで蔵田氏の蒸気ウインチが大活躍。

裁割とは、タラバの脚を各部位ごとに専用包丁で切り落とす部門だ。

各部位は、肩肉、棒肉・南蛮・ラッキョ・爪に裁割される。

大きい爪の数で、当日の漁獲数がわかる。

六 名所選別・肉出し  

裁割された脚は、各部位ごとに分別され、殻から肉を出す。

肉出し作業は、裁割がおこなう。

*ここまで、甲板上の裁割部門の作業である。正肉は、貨物エレベーターで、下の工場へ。*

タラバ名所

タラバ蟹の部位の名所

七 整形

裁割で肉出しされた肉は、汚れを除去し、缶詰の長さに手でカットされる。

*ソボロ作り

カットされた、正肉の半端肉や崩れた肉などを集めて、バラバラにして混ぜる。

これを、ソボロという。カンカン用(計量用)の目安量の肉とする。

日魯は、そぼろ製造技術が優れていた。

*缶硫酸紙巻き

缶詰の内側に、蟹の肉が直接接触すると異変が生じるので、硫酸紙を巻いて防ぐ。

八 肉詰  

硫酸紙を巻いている缶に、各部分の肉を詰めていく。

等級によって肩肉、 棒肉、南蛮、ラッキョ、爪の入る本数が決められている。

最後の目方調整はソボロで行われる。缶詰の等級は、1~3級まであったと思う。

缶は、カニ2号缶、カニ3号缶である。

九 たれ入れ 

たれは、塩、水、PH調整剤の混合のたれを入れる。   

*硫酸紙折 

肉詰めされた缶詰の硫酸紙を折る。

一〇 缶詰シーマー  

肉詰めされた缶詰は、真空シーマーされる。

真空にされ蓋がされる。 

十一 高圧殺菌釜入れ 

高圧殺菌釜に缶詰が入れられ殺菌される。

十二 打検検査  

その当時、殺菌からあがった缶詰を打検し、その音で不良缶詰を探し出した。

二十数センチほどの金属棒の先に、鉄の球がついている検棒で、缶詰の表面を叩くのである。

この検査は、不思議なほど不良缶をあてる。今は打検検査などない。  

打検棒

打検棒

十三 冷却

高温の缶詰を、扇風機で冷却する。

十四 清掃    

冷却された缶詰を、きれいに清掃する。

十五 箱詰め   

缶詰はカニ2号缶、カニ3号缶で四八個入りである。

タラバ蟹缶詰製造工程一覧

独航船 投網 ➡ 川崎船 網揚げ(ここまで 海上作業)➡ 母船へ

➡ 脱甲 ➡洗い ➡ボイル 冷却 ➡裁割部位選別・肉だし➡整形 ・ソボロ作り・硫酸紙巻き

➡肉詰め➡たれ入れ・硫酸紙折➡缶詰シーマー➡高圧殺菌釜入れ➡打検検査➡冷却

➡清掃➡箱詰め

製造工程を書いていたら倉庫係のことを思い出した。

製品倉庫係は新卒の大学生が代々担当である。

その新卒の社員が、出航前に倉庫で支給品の手配をしていた社員であった。

いつも先輩に坊主頭を叩かれていたっけなぁ。わたしより二歳、先輩だ。

社会人第一歩が西カムチャツカ蟹工船なのである。何とも言いようがなかった。

今は退職され、悠々自適の世界に浸っていることであろう。

もし彼が、蟹工船廃止になるまで船に乗っていたなら、北洋漁業の終焉を見ることが

出来たはずである

あれほどの労働を課せられたのである。その時をどんな気持ちで迎えたのだろうか。

ここではあえて重労働と書かない。

そんな、「重」の字をくっつけたぐらいで表現できる労働ではないからである。

わたしにとって蟹工船は、隠された内なる自分を引き出してくれた船であった。

二航海しかしていなのに、偉そうなことを書いてと叱られそうだ。

だが、あの二航海の八ヶ月で得た教訓は、

今の自分を成している太い背骨となっているに違いない。

ボ~ット! よこ・して・くだ・さ~い!

ある日の夜、仕事中に便所へ行った。

用をたしていながら、ふっと、ボルト(丸窓)を見た。

「あっ!! どこの街だ!」

目の前にきれいな夜景が広がっているではないか。

何ときれいなことか。と思いつつ、よくよく見ると。

夜景が少しゆらゆら揺れている。

ああ~、俺も、いよいよ幻想をみるようになったのか…。

そっか~、と思いボルトに顔を近づけてみる。

と、なんと! ロスケの独航船だったのだ。

それも、後ろに川崎船を引いているではないか。

バカヤロー! 鴎でさえしばらく見ていないのに、喜んだろぅ!

でも、きれいな夜景だった。

そのロスケの船には、女性も兵士も乗っている。

前に兵士が銃を担いで歩いているのを見たことがある。だから、兵士には驚かなかった。

が、女性には驚いた。女が乗っていても大丈夫なのかな、と冷蔵庫に戻って呟くと、

「ロスケは、何日モしねえうちに、オカさぁ帰るンだ。」とマツが言っていた。

それにしても女性が乗っているとはなぁと、またつぶやいた。

マツが下を向きながらニヤニヤ、にやけていた。

タラバ蟹母船式漁業は、日ソ漁業協定で箱数が決められている。

その製造箱数を帳簿上で検査するために、ロシケの監督官が七~十日位に母船にやってくる。

小さな巡視船を母船に近づけて、朝鮮人通訳が拡声器を使いこう叫ぶのだ。

「ボ~ット! よこ・して、くだ・さ~い!」

母船から救命ボートを降ろして、巡視船に向かう。

小さな巡視船から、二~三名の監督官と朝鮮人の通訳が乗り込む。

救命ボートを母船につける。

まもなく、ガラガラと蒸気ウインチで台網を降ろす。

それに、監督官と通訳が乗ると、母船へと引き上げられる。

母船の甲板では、工場長、漁労長、船長など各責任者が待っている。

ロスケの監督官が上がってくると、通訳の朝鮮人が工場長との間に入り通訳を開始する。

そして応接室の人となるのである。

われわれには、このロスケの監督官が来る前に、大事な仕事があるのだ。

日ソ協定にない冷凍タラバを保管している、あの巨大冷凍庫を隠さなければならないのだ。

隠すのは冷凍庫ではなく、冷凍庫の出入口扉だ。

甲板にある冷凍庫ハッチは、一番先に隠さなければならない。

その扉を、プラスチックのカゴを使い全部覆い隠すのである。

そうして監督官を迎えるのだ。

ロスケも同じ海域で漁をしているので、今年の漁模様をよく解っている。

そんな状況で帳面上を検数するのだ。日本としたらこんな楽なことなどない。

二時間ぐらいで検数会議が終了すると、マントを着たロシケの監督官が甲板に現れる。

酒を飲んで顔を真っ赤にし「ハラショ! ハラショ!」と上機嫌でお帰りになるのである。

お土産はきまって、

玉葱・人参・ねぎ・ハム・ソーセージ類・チョコレートやお菓子などであった。

そうだ、こんな話を聞いたことがある。

ロスケの監督官が、帰りの船に乗る時に、酔っぱらって海に落ちたことがあるという。

どれほど飲んだのだ。

ロスケの監督官にすれば、賄賂、役得、袖の下である。

こんな話も聞いたことがある。

独航船が海上で、ロスケの巡視船に出遭うと羊羹をあげるという。

そうするとかなり、融通が利くという。

次に会うときには、向こうから羊羹を求めてくるという。

ロスケの人は羊羹が大好きだ。

その頃のソ連は、物にかなり不自由していたことは確かである。

今でも、赤い顔してマントを着たロスケの監督官と、

朝鮮人の片言の日本語をはっきりと覚えている。

勿論、お土産の品々も忘れられない。

何故、こんなモノが珍しいのだろうと、いつも不思議に思っていたからだ。

玉葱・人参・ねぎ・ハム・ソーセージ類・チョコレート…、ハラショ・ハラショ…

では、皆さんも、ご一緒に…。

「ボ~ット! よこ・して、くだ・さ~い!」

はい。よくできました。








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