仏のことば

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わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思う者には、怨みは鎮まることがない。

怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。

屋根のふき方の悪い家に、雨が漏るように、よく修めていない心に、貪(むさぼ)りのおもいがさしこむ。

怠(おこた)るのは死の道、努め励むのは生の道である。愚かな人は怠り、智慧ある人は努め励む。

弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。

心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。

怨みを抱く人のなすことよりも、かたきのなす悪よりも、この心は、ひとに悪事をなす。

この心を、貪(むさぼ)りから守り、瞋(いか)りから守り、あらゆる悪事から守る人に、まことの安らかさが得られる。






ことばだけ美しくて、実行の伴わないのは、色あって香りのない花のようなものである。

花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって流れる。

眠られない人には夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。

道を行くには、おのれにひとしい人、またはまさった人と行くがよい。愚かな人とならば、ひとり行く方がまさっている。

猛獣は恐れなくとも、悪友は恐れなくてはならない。猛獣はただ身を破るにすぎないが、悪友は心を破るからである。

これはわが子、これはわが財産と考えて、愚かなものは苦しむ。おのれさえ、おのれのものでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。

愚かにして愚かを知るのは、愚かにして賢いと思うよりもまさっている。

愚かな人は賢い人と交わってもちょうど匙が味を知らにように、賢い人の示す教えを知ることができない。

新しい乳が容易に固まらないように、悪い行いもすぐには報いを示さないが、灰に覆われた火のように、隠れて燃えつつ、その人に従う。

愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。

過ちを示し、悪を責め、足らないところを責める人には、宝のありかを示す人のように、仰ぎ仕えなければならない。






教えを喜ぶ人は、心が澄んで、快く眠ることができる。教えによって心が洗われるからである。

大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。

堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。

おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。

正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。

どんな人でも、もしまことに自分を愛するならば、よく自分を悪から守れ。若いとき、壮(さか)んなとき、また老いた後も一度は目覚めよ。

世は常に燃えている。貪りと瞋りと愚かさの火に燃えている。この火の宅(いえ)から、一刻も早く逃げ出さなければならに。

この世はまことにあわのような、くもの糸のような、汚れをもった瓶(かめ)のようなものである。だから、人はそれぞれの尊い心を守らなければならない。






どんな悪もなさず、あらゆる善いことをし、おのおの心を清くする、それが仏の教えである。

耐え忍ぶことは、なし難い修行の一つである。しかしよく忍ぶ者にだけ最後の勝利の花が飾られる。

怨みのさ中にあって怨みなく、愁いのさ中にあって愁いがなく、貪りのさ中にあって貪りがなく、一物もわがものと思うことなく、清らかに生きなければならない。

病のないのは第一の利、足りるを知るのは第一の富、信頼あるのは第一の親しみ、さとりは第一の楽しみである。

悪から遠ざかる味わい、寂(しず)けさの味わい、教えの喜びの味わい、この味わいを味わう者には恐れがない。

心に好悪(こうお)を起こして執着してはならない。好むこと、きらうことから悲しみが起こり、恐れが起こり、束縛が起こる。






鉄の錆が鉄からでて鉄をむしばむように、悪は人から出て人をむしばむ。

経があっても読まなければ経の垢、家があっても破れてつくろわないのは家の垢、身があっても怠るのは身の垢である。

行いの正しくないのは人の垢、もの惜しみは施しの垢、悪はこの世と後の世の垢である。

しかし、これらの垢よりも激しい垢は無明の垢である。この垢を落とさなければ、人は清らかになることはできない。

恥じる心なく、烏(からす)のようにあつかましく、他人を傷つけて省みるところのない人の生活は、なしやすい。

謙遜の心があり、敬いを知り、執着を離れ、清らかに行い、智慧明らかな人の生活は、なし難い。

他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い。他人の罪は嵐のように四方に吹き散らすが、おのれの罪は、さいころを隠すように隠したがる。

空には鳥や煙や嵐の跡なく、よこしまな教えにはさとりなく、すべてのものには永遠ということがない。そして、さとりの人には動揺がない。






内も外も、堅固(けんご)に城を守るように、この身を守らなければならない。そのためには、ひとときもゆるがせにしてはならない。

*ゆるがせ=おろそかにする。いいかげんにする。

おのれこそはおのれの主、おのれこそはおのれの頼りである。だから、何よりもまずおのれを抑えなければならない。

おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである。

日は昼に輝き、月は夜照らす、武士は武装して輝き、道を求める人は、静かに考えて輝く。

眼と耳と鼻と舌と身の、五官の戸口を守らず、外界に引かれる人は、道を修める人ではない。五官の戸口をかたく守って、心静かな人が、道を修める人である。






執着があれば、それに酔わされて、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。

悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。悲しみも喜びも超え、善も悪も超えて、はじめてとらわれがなくなる。

まだこない未来にあこがれ、とりこし苦労をしたり、過ぎた日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦(あし)のように痩せしぼむ。

過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労をせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。

過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。

今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である。

信は人のよき友、智慧は人のよい導き手である。さとりの光を求めて、苦しみの闇を免れるようにしなければならない。

信は最上の富、誠は最上の味、功徳を積むのは、この世の最上の営みである。教えの示すとおりに身と心とを修めて、安らかさを得よ。

信はこの世の旅の糧、功徳は人の貴い住みか、智慧はこの世の光、正しい思いは夜の守りである。汚れのない人の生活は滅びず、欲に打ち勝ってこそ、自由の人といわれる。

家のためにわが身を忘れ、村のためにわが家を忘れ、さとりのためにすべてを忘れよ。

ものみなうつり変わり、現れてはまた滅びる。生滅にわずらわされなくなって、静けさ安らかさは生まれる。






釈尊

2021 04 15

仏教聖典抜粋

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