随筆 限界峠を超えて

カムチャツカの真実 4

蟹工船 協宝丸の世界

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カフラン沖





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カムチャツカ  蟹工船

1970 「協宝丸」乗船

1971 「晴風丸」乗船







カムチャツカ漁場航路図

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記憶をたどり書き続ける ノンフィクション物語





母船 協宝丸

急に大きな声が頭上から降ってきた。

何て言ったのか聞き取れなかったが艀が一気に活気づいた。

その声が合図であったかのように、協宝丸の甲板からまた大きな声が降ってきた。

「蔵田さん! 今年も、よろしぐ、おねがいします。今、カゴ、降します!」

その声は蔵田氏を尊ぶ口調であった。蔵田氏がニャっと笑った。

と同時に、ガラ、ガラ、ガラっと頭上で大きな音がなった。

板がついた大きな網台が降りてきた。

この網台が人と荷物を甲板まで運んでくれるらしい。

また艀がにぎやかになった。

蔵田氏とわたしも、そのにぎやかさと一緒に網台に乗った。

ガラ、ガラ、ガラっと網台が上昇し甲板まで運ばれた。

ガタン!という音とともに軽い衝撃が甲板に着いたとカラダに伝えた。

荷物を持ち網台からでて周囲を見渡してみた。

いや~、広い! 広くて、でかい! 何という広さなのだ。

目の前に別世界が広がっていた。初めて見る風景であった。

甲板からは、今まで一度も見たことのない風景が広がっていた。

函館山が今までとは違う顔を見せている。

そして、その山がグ~っと、私に近くなったように感じた。

今までと視点が違うだけで風景はこんなにも変わるものなのか。

わたしもヘタな絵を描くのだが、やはり一番重視するのは視点をどこに置くかである。

それによって絵の構図が決まってくる。

視点が変われば同じ風景でも違う絵が何枚も描けるという。モノの見方は大事である。

じゃ、環境はどうなのだ。人は置かれた環境に順応する動物だという。

わたしも順応性はおおいにある、と、思う、の、だが、きっと、ある、だろう…。

不安だとか。心細いだとか。寂しいだとか。心配だとか。後悔だとか。悲しいだとか。

そんないいわけを並べ立てても何の役にも立たない。

これから異国の領海で鳥も飛ぶのを諦めた遠い海上で、仕事をしなければならないのだ。

ただそれだけだ。もう飯は喰った。(支度金は使った)

あとは色々な経験を栄養とするだけだ。

もし、愚痴をこぼしそうになったら、口から吐かずにケツからだして自分で拭く。

愚痴だけは、口から吐いても誰も後片づけはしてくれない。船国は特にそうだろう。

自分の愚痴の理解者は自分以外に誰もいないのだ。

歯を食いしばり、喉を絞め、グ~っと腹に呑みこむことにしよう。

そんな気持ちで函館山と街並みを見渡していた。


甲板で網台から降りたわたしは、蔵田氏と共に荷物を持ちハッチの階段を下りた。

そこは、甲板のすぐ下の階で大きな広場になっている。

壁や鉄骨が茶色、錆び色、黒色の塗料がまだらに塗られていた。

薄暗く殺伐たる貨物船独特の雰囲気を醸しだしていた。

よく見ると広場の両壁にドアが並んでいる。それが乗組員の部屋の入り口であった。

その広場を横切り蔵田氏がわたしの部屋まで連れていってくれた。

薄暗い倉庫から部屋に入るような感じであった。

「この部屋です。」

部屋の前まで来て蔵田氏がドアを開けた。

部屋にはまだ誰もいなかった。

通路に面しているカーテンは全部しまっている。

薄暗い部屋の床にボルトからの陽のひかりが、寂しく楕円形に丸まっていた。

蔵田氏が部屋の電燈を点けると、楕円形のひかりがびっくりしたのか、どこかへ消え去って

しまった。

床は鉄板で、真ん中の通路が電燈の光を受けて鈍くひかっていた。

だが、鉄特有の冷たさを感じさせていない。

きっとこの床は、もう何十年も乗組員の苦悩を吸い取ってきたのだろう。

冷え切った人の心に温かみを与えるかのような鉄床であった。

部屋には、ボルト(丸窓)が三つあり二十畳ほどの広さであった。

真ん中のボルトを境に左右に二段ベッドが並んでいた。

片側上下一〇個のベッドで一部屋二〇名の作りであった。

「こごです。」

と、蔵田氏が左奥下のベッドを指した。

わたしは蔵田氏に返事をしながら引かれていたカーテンを開けた。

そこに、薄い紺色と黄ばんでいる白色の縦ストライプの藁(わら)マットが横たわっていた。

幾つもの染みを描き、幅七〇㎝ 長さ二mほどの木枠のなかで、わたしの来るのを

待っていたかのようであった。

よろしぐ…。心のなかでペコっと頭を下げつぶやいた。

この空間を、私は寝る場所以外に何も意味をもたない単なる寝床空間に感じた。

よく考えてみればここが私の部屋なのだ。

寝るだけの空間ではない。生活空間なのだ。この時は、このように思った。

だが、一ヶ月もたたないうちに、そこは間違いなく寝床専用の場所となるのであった。

「このベッド、結構、寝やすいンですよ…。」

蔵田氏が背中を向けながら言った。

確かにこのベッドは何か懐かしさと寝やすさを与えてくれた。

蔵田氏がわたしを置いて自分の部屋へ行くのかなと思っていると、

「オレのベッドは、こごです。」

と、わたしの右斜め入り口から三番目のカーテンを開いて荷物を置いた。

それから、ぼつぼつと部屋の人たちが集まってきた。

悲しいことに、今、部屋の人たちの名前も顔も忘れている。

名前を憶えている人をあげてみよう。

もちろん、蔵田氏は憶えている。蒸気ウインチ担当である。

もう、半世紀も会っていない。健在であれば八十代後半か九十代初めではなかろうか。

今、突然、再会しても私はすぐにでもわかるだろう。

次に、泉氏。泉氏は裁割担当だ。

森出身で蔵田氏と同じ歳ではなかったろうか。酒好きで背丈は普通で小太りの人である。

あと、沢田氏。沢田氏は裁割の頭である。

沢田氏は函館出身で蔵田氏、泉氏よりも年配であった。何となく、のんびりしたような

人であった。

飯に酒をかけて食べるのではないかと思われるほどの酒好きであった。

そして、大嶋氏。

大嶋氏は西カムチャツカ・デビューが同じで函館出身。私と同歳であった。

だから、お互いに良き話し相手になっていた。私の寝床空間のすぐ上のベッドの住人である。

この人たちはなぜか顔も忘れずに憶えている。

名前は憶えていないが、津軽の人で小柄で坊主頭の人の好さそうな、三十歳ぐらいの

人がいた。

彼からいただいた細いごぼうと人参の味噌漬けは、今でも舌が憶えていて恋しがっている。

あれは本当にうまかった。

彼のところへ同じ津軽衆がよく遊びに来ていた。津軽衆の会話は外国語会話だ。

三~四人の会話になると、どこかの外国人の会話のように聞こえる。まったく理解できない。

蔵田氏がよく言ったものだ。

「何言っているか。わからネショ。」

何言っているのか。全然わかんね~。津軽衆よ、ごめん。

もう一人記憶のなかの人がいる。名前は忘れた。

中学新卒の津軽出身の子供だ。私と同じベッドの列の上段の真ん中。

彼には今も忘れることのできない思い出がある。

蟹工船の労働は子供の体力と精神力では、限界に達する日数は大人よりもはるかに早い。

当たり前のことだが体も精神も未熟だからである。

それよりも労働の心構えが成り立っていないのである。

だから子供なのだ。

親はそれを知っているのだが、あるモノしか目に入っていないのだ。

もちろん子供が一番大事だという態度で、出航前の岸壁では周りの人たちと接する。

しかし、子供の存在順序はアレの次のように感じるのである。

アレですよ。アレ。誰でも欲しい、アレ。そう、金です。

蟹工船は金になる。それも大金だ。

子供は家の事情で地獄に放り込まれたのである。それも地獄の本町一丁目に。

彼ほど、寝ながらにして蟹工船の地獄をわれわれに見せつけた者はいない。

いったい、どのようにしたらあのような寝ぞうになるのか。

ゴウゴウといびきをたてながら、頭と背中を上段のベッドから投げだし、今にも落ちそうに

寝ている。

いくら、呼べども揺すろうとも起きることなどない。

疲れて、疲れて、疲れて。いつも食べている夜食も食べず寝る。

眠くて、眠くて、眠くて。

今、只今から、神のお告げにより眠りにつかなければならない、かのように眠っている。

今、命を取られてもいいから寝る。彼の寝ぞうがそういっている。

たまりかねた同僚二人が、足を引っ張り、頭を抱えベッドに戻す。

彼は操業中に数えきらないほど、地獄寝入りを見せていた。

働く意味も金の重みをわからずに、彼は大金で地獄行切符を買わされたのだ。

そういえばオットセイの岸壁で、

「―― もす、この子みだら。よろすぐ、頼む。」と、わたしに駄菓子を握らせ頼み込んだ

母親がいた。

あの子供と航海中、一度も会うことがなかった。きっと、製造ではなく漁労なのだろう。

もし、その子も同室なら、この地獄の辛さを彼とふたりで私に教えていただろう。

私は、今六八歳である。彼は、私より五年下だから…、六三歳だ! 

地獄寝入り


会えるものなら彼に会って、ごぼうの味噌漬けをつまみながら、

当時のことを話ししてみたい。

憶えているだろうか?

女工節

朝は早くから 起こされて

夜は遅くまで 夜業する

足がだるいやら 眠いやら

アラ 

思えば工場が 嫌になる

缶詰工場に 来てみれば

かけた茶碗に かけたお椀

ハシのビコタコ 良いけれど

アラ 

若芽に切り干し ナッパ汁

高い山から 沖みれば

白波わけて 旗たてて

またも積み込んできた 

カニの山

アラ 

可愛い女工さん また残業

缶詰工場に 二度来る者は

親のない子か 継母育ち

親のない子は 泣き泣きかせぐ

アラ 

監獄部屋より まだつらい

いくら夜業が 続いても

主さん乗っている 船ならば

どうぞ大漁の なさるよう

アラ 

私も工場で 共苦労

恋というもの 辛いもの

人に笑われ 指さされ

お友達にも 気がねして

アラ 

それでも添えるやら 

添えぬやら

女工女工と 馬鹿にするな

今は女工を しておれど

家に帰れば お嬢さん

アラ 

その時見染めて ちょうだいな

女工女工と 軽蔑するな

女工の詰めたる 缶詰は

横浜検査に 合格し

アラ 

女工さんの手柄は 外国までも

いやな工場も 今日限り

遅くて来月 半ばごろ

皆さん永々 お世話さま

アラ 

いずれ お礼は着きしだい

後で知ったのだが、この部屋に蟹工船歴三十年以上の大ベテランが三名もおられた。

三十年以上ともなれば、それはもう船団の重鎮であり熟練工である。

蔵田氏、泉氏、沢田氏の三名である。

カムチャツカ・ジェントルマンという。名づけ親はわたしだ。

処女航海の私を気づかい、蔵田氏が同室にしてくれたのである。

この人達の気づかいと、面倒見はとても良かった。そして、その言動には、何ひとつ偽りが

なかった。

特に、体の気づかいは親以上であろう。確かに、どこにいても体は資本である。

船国では、唯一の財産である。

また、食べ物にも随分気づかってくれた。毎夜、夜食のラーメンはあるのかと必ず聞いた。

夕食のおかずが肉の日には、若いから食べられるべといいながら自分の肉を分けてくれた。

蟹工船の過酷な試練に負けないように、実に細やかで温かな気づかいであった。

もし、この試練に負けたなら、われわれは二つの地獄のどちらかに堕ちていくのである。

地獄の二者択一では逃げようがない。

いったい、二つの地獄とはいかなるものなのか?         

そのひとつが、肉体地獄。

もうひとつが、精神地獄である。

二つの地獄はどちらも金がらみの地獄なのだ。

金が欲しいから、肉体や精神の限界を超えても休まず仕事を続ける。

その結果、巡視船か仲積船で稚内送りとなるのである。

何事にも、限界を超えると支障が出てくるものだ。

いよいよ、我慢ができなくなるとドクターのお世話になる。

そこで完治したなら、これはまさしく地獄で仏さまにお会いできたも同然。

ある乗組員が腹痛を我慢しながら働いていた。

その人に “限界の神 ”がこう申したのであります。

「Drさぁ、かかれ。」ドクターの診察を受けた彼は、トンプクをわたされ終わりであった。

頭痛ならノーシンだ。

このドクターは整形のドクターで、嘘か本当か知らないが、得意は男性性器の整形だそうだ。

何人かがこの機会にドクターの整形手術を受けたときいた。

だいたい、病気といっても頭痛、腹痛、歯痛であった。

初期段階の治療は薬服用で済まされるのである。

たしか一回目の航海の時であったと思う。

ある乗組員が、腹痛を我慢してずっと働いていた。

先述したが休むと金にならない。金が欲しくてカムチャツカまできているのだ。

だから、金は我慢を説得する。

数日後、彼は金に重病患者に仕立てられてしまう。

結果、船では処置できないので、巡視船で稚内に搬送されるのである。

巡視船でカムチャツカまでは四、五日かかる。稚内まで往復十日近くもかかってしまうのだ。

彼は盲腸が癒着し巡視船の中で亡くなったと聞いた。

我慢の限界を削除したのが金である。

だが金は、そもそもなんの意図さえ持ちはさんではいない。

しかし、持ち主の金に対する気持ちが投影されると、金の本質が失われてしまう。

津軽の地獄寝入りの彼は、その本質さえ理解していなかったのだ。

仏教に小欲知足という教えがある。少ない欲で足りるを知るということだ。

金欲のバーが高いと問題の解決には至らない。

そこが船たる所以である。ここは船国一国である。

鳥も寄り付けないほどオカから遠い国。オカの日常など船国の非日常には通用しない。

西カムチャツカ遥かなるロスケ領。

この遥かなる海、西カムチャツカには、もう一つの静かな地獄が眠っている。

母船は、夜、次の漁区へと走る日が多い。

夜に移動中の母船は、まるでカムチャツカの闇に追いかけられているようだ。

闇に吞み込まれないように、全速力で必死に逃げる人間のようにも見える。

逃げても、逃げても、追いかけてくる。

はらっても、はらっても闇は覆いかぶさってくるのだ。

真っ暗な闇の中を走行する母船の甲板は危険だ。

その甲板に立ち入ることは、自ら死神の食卓にわが身を盛り付けるようなもの。

だから甲板には誰一人上げてはならない。

酔って足を滑らせ海へ落ちても、喧嘩して甲板までもつれ合い落ちてもわからない。

目撃者がいなければあやまって落ちたのか、計画的殺人なのか誰にもわからないのである。

死体はおろか、どこで落ちたのかさえもわからない。探しようがないのだ。

だから絶対、酔って甲板へ行ってはいけない。甲板へ上げてはいけないのである。

とにかく、夜は一人でも数人でも甲板に出ては駄目なのだ。

静かな地獄へとつながる甲板のハッチは、毎夜開いている。

その階段を上ると静かな地獄へと続く。夜は決して行ってはいけない。

カムチャツカの闇に吞み込まれてしまうぞ。乗組員の暗黙の了解となっている。

素晴らしきかな カムチャツカ・ジェントルマン

船 は、一国である。男だけの世界だ。

この世界で乗組員が共通して行うことが三つある。

一に寝る。二に書く。三に読む。

男の世界のこのかくには、手紙を書く、のほかにまだ大事な「かく」がある。

そりゃあ~、男の世界ダモンな~。かくかくしかじか…でしてというわけです。

話しは変わりますが、乗組員のもめごとの仲裁役がいる。

いざとなったら、工場長以上の権力を持っているのが、カムチャツカ・ジェントルマン達

である。

ところで、母船の工場長も一風変わった人物であった。

顔色は青白く(職員全員顔が青い)、中肉より少しランクが上だ。

右肩を少し下げ、斜に構え上目づかいで人を見る。

そして、おとなしい口調でモッタリと喋る人であった。歳は四十代ではなかろうか。

さて一国の治安を陰で支えているカムチャツカ・ジェントルマン。

彼らは二つの地獄を完全に制御し、オカの生活と何ら変わらない日々を過ごしていた。

強靭な体躯の持ち主で、真鍮製鋼の精神を兼ね備えている、男のなかの男であった。

真鍮製鋼とは錆びず、折れないということである。実際にはそういう鋼は存在しない。

精神に異常きたさず、折れない強い心の持ち主であるという意味だ。

本当に元気であった。疲れているはずなのにそれを感じさせないのである。

これは驚異的なことなのである。驚異的といえば酒もそうであった。

カムチャツカ・ジェントルマン達の部屋では、月に何回かは酒盛りが行われていた。

私がいる部屋だ。

時々社員も部屋に来ては酒盛りに参加していた。あの工場長もたまぁに顔を出していた。

ジェントルマン達が、工場長はじめ社員達に信頼されていることがすぐ理解できた。

これは言葉では表すことのできない、社員とジェントルマン達との強い絆であった。

そんな彼らの酒の肴にカムチャツカ鍋が作られる。

その食材確保に月に一回程度、昼休みに釣が行われていた。

ここの漁場はタラバ蟹が生息している漁場である。タラバは鱈の場と書く。

先述したが鱈が生息している漁場にいる蟹なので、鱈場蟹というのである。

この海域には大きな鱈がいる。その鱈を昼休みに釣るのだ。

かかった魚が大物か小物かは、その時の運である。

釣りは、三班に分かれて行われる。

まず、釣り班。

釣り班は、太目のスズ糸に錘に針と餌をつけて、ボルト(丸窓)から海へ投げ入れる。

スズ糸をしゃくっては放し、しゃくっては放しを繰り返し、鱈がかかるのを待つ。

もうひと班は、釣れた鱈をこん棒で頭をたたき活〆にする。

次の班は、まな板のまえで包丁を持って待っている。

「ヨシ!かかった!」釣り班はスズ糸をまく。 まく! まく! まく!

母船に乗船している水産庁の監督官に見つからないように、素早く終わらなければいけない。

何故なら、日ソ漁業協定では、タラバの缶詰以外の他の漁獲物は、いっさい認められては

いないのである。協定以外の魚を取ってはダメなのだ。

ボルトから大きな鱈が部屋に乱入する。大暴れしている。おさえこめー!

部屋に入れてしまえば監督官など怖くない。

今度はこん棒部隊だ。頭を狙え!

魚を活〆せよ! 昼休みの時間が、少ねぞー!

次は包丁部班だ。

すぐ! 頭を落とし、内臓を除去し、三枚に卸す!

半身は冷凍でルイーベに、もう半身と骨は冷蔵し鍋の材料となる。

今晩の酒の肴の鍋材料ができた。

仕事を終えたカムチャツカ・ジェントルマン達が、一杯の肴作りをはじめる。

作るのはいつものカムチャツカ鍋だ。

醤油味のタラバと鱈の鍋である。味噌味にはしない。

いつもの電気コンロの出番だ。船は火事が一番怖いので火は厳禁なのだ。

まず鱈を冷蔵庫から出す。ルイーベは刺身だ。

土鍋に昆布だしを入れてコンロにかける。

次に、昼仕込んだ鱈を切り身にして、タラバの生ムキ身も入れる。

ここから、とっても貴重な食材が入る。オカでは何ら珍しくはない品物だ。

だが、ここカムチャツカでは貴重品なのである。それが生野菜だ。

土鍋に大根、人参ときて、玉ネギ、しらたき、豆腐、そして、とどめのネギが入る。

土鍋から湯気が上がるとできあがりだ。

鍋のふたを取るとみんなの歓声が、うめそうだ~、といっている。

湯気のなかから、タラバの身が醤油色に染まり、菊のように花開いているのがみえる。

ものすごく旨そうだ、そしてたまらなくキレイだ。

鱈の白身も程よい醤油色に染まっている。

この醤油色に染まった食材が食欲をそそるのである。味噌味だとそうはいかない。

裁割頭沢田氏が味見をする。

「うめー、いいど!」

その頃になると部屋の人全員がそろっている。

社員も交えてにぎやかな宴会がはじまるのだ。

カムチャツカ鍋

ここはタラバの宝庫。鱈も釣れる。

どちらも喰いきれないほどあるが肝心の野菜がない。

野菜のない鍋などオカにだってない。

食べ物こそオカと同じものをこのカムチャツカでも喰いたいではないか。


しかし、ここカムチャツカにもないことはないのだ。ということはあるということだ。

場所は母船の冷蔵庫の中。上層部乗組員の食材保管冷蔵庫だ。

その冷蔵庫に我々など近づくことすらできない。勿論、鍵がかかっている。

鍵を開けられるのは社員だ。社員と親しくならないと食材が手に入らないのである。

社員と親しい人は誰かというと、カムチャツカ・ジェントルマンだ。

彼らの頼みで社員は善意の持込み参加をするのである。

そんなわけで、善意の野菜が入った鍋を部屋のわれわれもご相伴にありつける。

彼らは毎日飲む。だが酒にのまれる飲み方はしない。

酒の飲み方ひとつにしても、自分の過信と無理は心得ている。

だから毎日飲めるのである。

よくもまあ、地獄の蟹工船であれだけ飲めるものだ。感心する。

わたしには、逆立ちしても出来っこない…。

♪ 命 温めて~♪ 酔いながら~~ 酒を~ まわし~飲む~♫

北島三郎の「北の漁場」ですよ。

電気コンロにかけた鍋を囲みながら、今夜も宴たけなわだ…。

今でも、その光景が目に焼き付いている。

心温まる団欒の雰囲気であった。

♪ 銭の 重さを~♪ 数えても~~ 帰る~ あてが~ない~♫

まったくだ!





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西カムチャツカ 蟹工船 協 宝 丸

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