詩のつぶやき

母さん

母さんを むかえに…

PCフリーハンド絵画

わたしは自分の詩を朗読するまえに、次のことをいうことにしています。

詩は、

五十音を超越した、奥深い表現であり、感情であり、感覚であり、愛情であり、

苦楽なのである。書き手の意図を文字列に織り込ませているのが詩である。

書き手は感動するような詩を書こうとしてはいない。

いま抱いている感情を引き出すことに集中するのである。

その感情をそのまま書き綴っていくと手紙となる。

だが詩は書き連ねていっても手紙にはならない。詩は手紙の抜粋文だからである。

手紙の内容を凝縮し抜粋したのが詩なのである。

読み手は詩を凝縮の圧縮から解き放し手紙に戻してあげる。

書き手の意図を変えることなく、読み手の理解で百人百通りの手紙を綴ることができる。

要するに詩は、

奥深いこころの感情からうまれた、手紙詩文なるものなのかもしれない。

悉有仏

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月 光

人類原初から

人間 生きるための苦という難問を

月は 冷ややかに抱え込んできた

それなのに あなたは少しの濁りもなく 

漆黒の闇に浮かび 艶やかさもなく 

いつも静かに覗き込んでくる

語るためのことばなどいらない

あなたをみていると 

それが よく理解できる

だから あなたとの対面で 

ほんの一瞬 

こころが浄化されていく

月よ

その広く 深い此処露なるものに 

わたしをあずけたい

その無言の諭しで その無償の慈愛で

わたしのこころを見透かしてほしい

この哀れで なげ悲しいほどの人間性を

その冷たい熱意で溶解させ 

たましい本来の此処露を備えた

人間に創造してはくれまいか 

   

              悉有仏clip_image004

       2022・9・10

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  冬の月 

PCフリーハンド絵画
 作 悉有仏

 

大意=月光

人類は原初から月に親しみをもっていた。

人がこころに苦をかかえているとき、ふっと夜空を見上げたら、

冷ややかに自分を覗き込んでいる月と遭遇する。

その時に苦が解消されるわけではない。

だが何とも言えぬ安堵感が苦から一瞬なのだが解放してくれる。

それから人は月の導きで懺悔をはじめるのである。

月にはこころを導く無言の教えと、深い慈しみの愛がある。

人が月を慕うのはそこにあるのかもしれない。

人が歓びの余韻で夜までこころを騒がしているとき、

なんとはなしに夜空を見上げたら、ジーッと自分を見つめている月にあう。

歓びのお裾分けを月にもといわんばかりに話しをする。

だが人を成長させるのは歓びそのものではない。

歓びを得るその過程が人を成長させるのである。

どうやら月はそのことをいっているようなのだ。

夜に月がある限り、人は月をこころの拠りどころとするであろう。

こころに安らぎをくださるお月さま。

その冷ややかな熱意で、わたしという人間を、

本来の素直な自分に変えてはくれまいか…。

                         しつうぶつ

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     題 鏡屏風  撮影 長牛廣光

鏡屏風

この世には 

表と裏が存在している

この世は 

表 ウラ どっち!

ほんとうに

表は表 裏は裏?

もちろん わたしにも 

裏が存在している

でも 表がすべて 

正しいとはいえない

不可思議なところが

いっぱいある

いやまてよ

表裏一体というではないか

だが どちらも

詳しくは知らないのだ

もし 表と裏の境に

一対の鏡屏風が

立てられていて

いつでも 顧みれヨと

本来のわたしが

立てかけたなら どうなる

鏡はありのままを映す

はて どっちが表?

裏から学ぶ事が 

表より多いというではないか!

この世は 裏で

成り立っているからだという

はて そうなると

表は こっち?で

裏は あっち!か

わたしの立ち位置は どっち?

それとも

物事で立ち位置が変わる?のか

悉有仏

2022 04 27

大意=鏡屏風

屏風は 空間を仕切る衝立

その屏風が 鏡であったり マジックミラーであったり

それが そうであったなら なかなか おもしろい

物事の立ち位置というのがあって

自分に関係ある出来事の時は 表の一番目立つ位置にあるし

無関係なら 無関心さえ眼をそらす意識となるだろう

仏教学者より科学者が

この世は 裏の世界の指示で動いているとおっしゃる

そうなると 

裏が表で 表がウラ!

物事による自分の立ち位置が

ややこしくなってくるな

しつうぶつ

いまだに・・・

わたしは 小鳥のように

きれいな声で さえずることはできない


わたしは蟻のように

働き詰めで 動き回ることはできない


わたしは 鷲のように

悠々と 空を飛ぶことはできない


わたしは 魚のように

水なかを 泳ぐことはできない


わたしは 蜘蛛のように

巣で自分を 完璧に表現できない


わたしは 蝶のように

優雅に 舞うことはできない


わたしは 花のように

ただ 咲くことさえもできない


わたしは 植物根のように

必要を つかむこともできない


 

ひとつのいのちに

ひとつの特質を施したのは 誰であろう


文化のただなかにいる わたしは 

いまだに 何者にもなり切っていない


今日 新たなる歳と向かいあい

年間献立を思案してみようか

まず 一品物の夢の調理法だ !

自分が喰いつくような

盛りつけが必要なのだが・・・

悉有仏

2022 01 18

新たな歳と向かいあう日

誕生日に寄せて

大意=いまだに・・・

「人間はその所属する文化によって人間にされる」という。

この深淵なる意味をわたしの少ない知識で考えても到底理解などできるものではない。

でも文化と時代は、密接で共同一体的な繋がりを持っているのではないか。

文化は時代の背景に取りこまれている部分があるのではないかと、おもえてくることがある。

1950年うまれのわたしたちのこころの奥底に、その時代が、その文化を創る一役を担っていた事実が、

今になっても鮮明に流れている。

あの貧困時代、そのときの文化も高度成長期という夢を、正夢にする兆しを描いていたのである。

われわれは子供の頃に、貧乏と裕福を史実として、時代から、文化から、

無償の教鞭として授かっていたこととなる。

どちらにも偏ることのない時流が存在していたようだ。

釈尊が説いている、ある意味大きな「中道」ともいえるのではないか。

自己流に解釈論を掲げてみれば、先述した人間論も、理解範囲内に浅くだが

入り込んでくるようにおもわれる。

誰が創造したのか一生命にひとつの特質がある。

わたしも、これから来る時代、文化から、得難いものを得る見極めを模索し実行していこう。

まずは、水先案内の夢の調理法と盛りつけを時代と文化から学ばねばなるまい。

しつうぶつ

いっしょに・・・

わたしたちが

いちばん辛くて

辛抱する季節は

秋が絶え絶えと

余命を初冬に託すとき

そのとき 

仲間も散り散りになり

とても淋しい季節となる

でも 

凍れ布団のなかで

白い息を描きながら

仲間と寄り添い重なり

カラダを温めていると

春が早く来そうな

気がするのです

辛抱からの解放は

我慢の屍の数でなく

こころの凍れを

いのちのぬくもりが

溶解する時をいうのです

image

   いっしょに・・・ by チロマス

               

                       悉有仏

  

大意=いっしょに・・・

初秋は、まだ 木々の枝にも張りがあり、地に落ちた葉にも艶があった。

花は地に落ちて久しいが、草は色を変え、それぞれ、絶え絶えに、

終焉の挽歌を謡い、最期の自分を演じている。

まだ、命のほとばしりをわずかであるが、感じ見られるのである。

日が過ぎ、風が凍れを吹かせると、大自然も近隣の自然にも、大差なく晩秋がやってくる。

草木はそれぞれに本来の相(すがた)となり、荒れ狂う初冬をむかえる。

これから、長い冬のなかで、凍れ布団のなかで、丸裸になった仲間と、寄り添い、重なり、

じーっと春待ち草になる。草木の母がいっておられました。

「辛抱は我慢の屍の積み上げではありません。」と。

春はいつの世にも、凍れ布団の下で、生き絶え絶えに、命を燃やし、

ぬくもりを絶えさずにいる限り必ずや来ます。

そのぬくもりが、こころの凍れを溶解させると辛抱から解放されるのです。

その時、大地が芽生える春となるのです。

頑張る必要などありません。

辛抱する必要もないのです。

物事の道理を理解さえすれば、全てが生きた教えに変わるからです。 

                                しつうぶつ

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いただきます

すこしの悲しみと

すこしの苦しみと

すこしの悩みと

すこしの病と

すこしの悔いをいただき

あとは 

たくさんのしあわせで

埋めつくしましょう

すこしの別離と

すこしの寂しさと

すこしのせつなさと

すこしの痛みと

すこしの泪をいただき

あとは

たくさんの夢で愛を

飾りつけましょう

たくさんの希望と

すこしの不安と

たくさんの可能性と

すこしの妥協と

たくさんの祈りをいただき

あとは

たくさんのわたしを

ひとつのわたしにして



・                

大意: いただきます

われわれは「偽我(ぎが)」「善我(ぜんが)」「真我(しんが)」をもっている。

今わたしは偽我に生きている。偽りの我だ。

本当の可能性すらわからずに、たくさんの自分をつくっている。なので、偽我的日常からは、

いろいろな自分を見ることができる。

喜怒哀楽をとおしてみてもその多さに驚く。

数え切れないほどの偽我の自分と遭遇できる。

「善我」は偽我から真我に向かって生きる自分を言う。

ここでも、たくさんの自分を確認できるだろう。

大概の人は偽我を知らない。

偽我を自分であると思い込んでいる。

でもよく自分を観察してみると、事態を呑み込める出来事に多々遭遇していることがわかる。

「真我」は本来の自分。本来の自分は、ひとり。

魂が秘めている可能性を全開にして生きることができる境遇であるという。

わたしはまったく真我を知らない。

真我が本来の自分であれば、偽我・善我での偽りの自分はなんと多いことか。喜怒哀楽からの

いただきものをすくなくすると、その感情も少なくなるかもしれない。

でもわたしはこちらから出向いて行ってしまう。

やはり基本は、少欲知足のようだ。

偽我をより深く知るためには、この執着心を少なくしなければならない。

                              しつうぶつ

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ありがとう

省みる生活を ありがとう

平凡な暮らしに ありがとう

変わりない日常に ありがとう

ありがとう ありがとう

ありがとうのいえる

わたしの人生に ありがとう

わたしの妻よ 供の両親よ 兄弟よ

わたしの人生の傘となり

雨具となり 防寒ともなり

こころを温めてくれた

わたしに関するすべての 人々よ

ありがとう

近未来に遭遇するであろう 人々よ

はじめまして そして

ありがとう…

                           悉有仏

大意=ありがとう

人はなかなか物事を省みることはしない。

ましてや、人生などどうやってみればよいのやら…。後悔・猛省のなかでも、しぶしぶ少しは

振り返る程度ではないか。

それでも、その出来事の起因に戻っても、反省することもなく、正当性を論ずるのである。

そいう自分を根本から省みる機会を、自分で設けなければ、今の立ち位置の尊ささえ分からな

いであろう。

いまある自分は、ご先祖様、両親、妻、兄弟、子、友、そして大勢の人々の縁起に支えられて

きた。

感謝の心を再認識しなければならない。

人間、独りでは生きていけない。

独りでは成り立たないのがよくわかる。

明日も、いやいや、今日も、いえいえ、今のいまにも遭遇する時の人がいる。

何と有り難いことか。

わが人生のすべてに、ありがとう・・・。

                                          

しつうぶつ

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あの頃の俺

こころに近く 思い出に遠く

すぎた幼いころが よみがえる

俺に吹いてくる風も 

肩に照りつける 灼熱の夏も

何も変わりはしないけれど

あの頃の俺と 今の違いは

世間の嘘が よく見えること

大人になりたくて

なったわけではない

いやになるほどやけに

近くも遠くも見えるから

生きていくのも 楽じゃない

だからなおさら 背中に

いつかの少年を背負いながら

こころに近く 思い出に遠く

てくてく 歩いてきた

                      悉有仏

大意=あの頃の俺

歳を重ねていくたびに、すぎた幼いころの思い出では、こころのなかで現実の出来事のように

よみがえってくる。

あの頃の自分は、いつも、太陽の下で風に吹かれ、灼熱の夏のなかにいた。

あの頃と今の違いは、世間、地域、社会と交わることにより、真実と虚偽がよく見極めることが

できるようになったことだ。

重ねた年月が大人にするのではない。

道徳の教えと真実の確信がこころを大人に育てたようだ。

そのような経験が、出来事を見極めることのできる、眼を持たせてくれた。

お陰で、出来事のなかで喋りまくり、踊りまくる真実と虚偽の区別がよくわかる。

そんな世界に生きていくのも楽ではない。

だからわたしは、幼い頃が現実のようによみがえってくる、偽りのない、いつかの少年を抱き

ながら、これからも、今までのように、てくてく歩いていきたい。

                                  

                                    しつうぶつ

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大意: あなた

壮大な宇宙。

その宇宙は神とおぼしき者が創造されたのではないかと想像できる。

宇宙を制御しているのは誰なのだろう?

わたしは自分の心さえ制御できないのに。

見えない世界を捉えるのには視覚の問題ではなく、感覚、触覚で

感じるものなのだろうか。

人が生きていくためのまなびは、大自然から取得できるという。

空であれ無常であれ、自然は我々の眼前に示しているという。

それにさえ気づくことなく、幻想を現実のように思いこみ日時を費やし、

命を削っている。

確かに人生は夢幻の如くである。

眼で見えないものは感覚で見るのだろう。

永遠の棲家の楽園も今だ確認されていない。

いやいや、案外近すぎて確認できていないのではないのか。

われわれは個々に築いた楽園に、今、住んでいるのかもしれない。

ただ、

欲望への強い執着心が見せていないのだろう。

しつうぶつ

あなた

あなたは

生きとし生きるもの

すべてを ねぐらに帰し

風を起こし 雲を動かし 

嵐を呼ぶ 雨を横に降らし 

海を上下に入れ替え

天地を浄化する

あなたは 

陽を導き 月を指示し 

昼夜を支配し 星座を創り

宇宙を棲家とし 日を操り

年月を吐息で捲る

そして あなたは

深き慈愛で人々に愛を与え

真実を探求する勇気をもたらし

楽園に至らす

人々は

あなたの存在を求め

幻想のなかで命を費やし 

夢のごときと嘆きさまよい

天を崇め 地を這っている

眼前に生える名もなき草も

主であることに気づかずに

悉有仏

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明と暗

人としての明暗は深層に宿る。

それは時時、その時その時に自分で手招きし深層の悟によって、

ひとつのカタチとなり蓄えられる。

わたしはその明暗から生まれた、物事の明るいところと暗いところ、

成功と失敗、幸と不幸に幾度となくめぐりあってきた。

それはそれで、物事の結果であるのは承知しているのだが、未熟なわたしゆえに、

もうひとつあさはかな行為をもつのである。

すべてをウソと言い訳で現実のありさまを覆いつくそうとするのである。

それはまるで新雪で覆いつくされた原野みたいに・・・。

しかし、雪で原野を覆いつくしても原野の起伏、

人格の稜線はありありと現れているのである。

積もった雪は起伏を隠すことなく、

時時に明暗を上塗りしながら時を駆けているのである。



しつうぶつ

チロマスさんの師匠の写真を見せていただいた。

もう何十年も前に家の裏の雪原風景をモノトーンでとらえた写真だという。

雪原の自然起伏も人口起伏もサーっと降った雪で覆われたいた。

たしかに起伏は角がとれ明と暗のなかに丸味を出していたが、

それは間違いなくその下の起伏を表していた。

ふっと、わたしの頭にこの風景が起伏ではなく、

人格の稜線であればどういう意味が成り立つのであろう、と。

いくら、どのような理由付けをしても、人格の稜線は隠しきれるものではない。

この写真は、見方によっては、大きな物語を語っているのではないか。

初めて見た時から、この写真から目が離れなかったのは、

隠されている物語に気づいていたのかもしれない。

何度見ても、いい写真だ。

深~い、物語を語っている、写真絵だった。

明と暗

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  momose 3 

momose 4

momose 5

  momose 6 

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・  momose 9

momose 8 

momose 7

   

写真SIZがバラバラで とてもいい…

スキャナーで取り込んだ写真である。

もっと良いプリンターならもう少しきれいに撮れるのだが…。

実物を見るとモノトーンがその明暗の風景を作り出しているのがわかる。

一枚一枚、深い物語を秘めているように感じてならないのである。

明と暗

人としての明暗は 自分でもたらし

悟によってカタチ創られ時時に違う                

わたしが手掛ける 

もうひとつのあさはかな行為は

その直後に

現実原野を覆うほどの

雪を降らせること

覆ったつもりの現実は

原野起伏も人格稜線も顕にしながら

明暗は さらに

時時上塗りを駆ける

悉有仏

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お返しせねば…

知人に「内閣総理大臣賞」受賞の画家がいる。

三月の個展最終日に先生は会場責任者に会い御礼をいった。

その時、責任者の顔が二つに見えたと奥さんに告げた。

疲れたンだね~、帰ったら病院にいこう。

戻った先生は伊達日赤病院で受診、結果良好。

でも先生は体調不良を訴えつづけた。

そして彼は大川原脳外科の検査を受けた。

結果を知るや、ビックリ!

すぐ北大へ回される。悪性膠芽腫と判明。

手術しなければ余命三か月。

五年生存率は1%。

後遺症は言語障害だけで手足は大丈夫。

そういう奥さんと数日後に会う約束をした。

画家に手足障害が残ればその人生は終了する。

そこに回復を強く願うわたしもいた。

その想いが詩となった。

お会いした時、奥さんが話す傍らで言語障害を乗り越えようと、

精一杯、生きるを語っていた、八一歳の先生がいた。

私は詩を朗読し先生に贈った。

しつうぶつ

お返しせねば…

この肉体は神からの借り物

人によっては

一気に返す人もいるようだが

私は 自然返却を望んでいる

ここはこの歳までの

御礼の節目として

一つだけお返しよう

生業を持っている私が

一番困らないものを・・・と思い

考慮したお返し物を・・・

五体満足からひとつ失うのは

不自由のようではあるが

この世のすべては

その不自由から生まれている

“生むは自由 ”と神はいう

だから

発明 発展 進化がある

だから

私も新たなる自分となるのだ!

悉有仏

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夢… よろこび

なかなか会えない恋人同士が、やっと、会う約束ができた。

きっと、お互いに話したいことがたくさんあるに違いない。

あれも話そう…これを聞いてみよう…

彼女はその日のために彼への愛をあでやかに、きらびやかに磨いて…いる。

勿論自分も綺麗にお化粧していこう…。

そうそう、あなたが当日、独りでかけだし迷子になってお話しできなくなったら困るので、

愛と一緒に手をつないでいきましょうね。

きっと、

あの人は…よろこぶはず…

きっと、

わたしの愛と、夢を見て…

よろこぶでしょう…。

ふたりにとって、

共通の愛と夢は、

いまを生きるすべてなのだから…。

しつうぶつ

夢・・・ よろこび

艶(あで)やかに

着飾っていきましょうね

お化粧もきれいにして

あなたが輝いていると

きっと 

あの人はよろこぶはず

そう・・・

わたしも 熟女(おんな)になって

あの人に

逢いにいきましょうね

あなたが独りで走り出さぬように

迷子にならぬように

愛と手を引いていきましょうね

きっと 

あの人はよろこぶはず

きっと 

わたしの愛と夢を見て

よろこぶでしょう

悉有仏

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人生に舞う

人は独りで生きてはいけない。

だから「人間」を人との間と書く。

その人との間の世相を「世間」という。

昨今、自我が世間領域を喰いつくしている。

今に世間が自我に破壊されるだろう。

世は、無意味、無機質、無関心。

いまに何も無い無いと嘆きながら世間の温かさを探し続けるだろう。

昨日もそうであるように、私は今も生きている。

あなたの存在を確かに感じながら…。

そう、人は独りでは生きてはいけない。

誰でも多種多様な出来事と舞いながら人生を生きている。

いつもそばで見守っている、あなたと…。

しつうぶつ

人生に舞う

1                  3

人がうごめいて            夢を喰いつづけながら

黒い河のように流れている       人が生きていけるなら 幸せだろう

授かったいのちの尊さなど       老いた腰に手をそえて

足音にさえも感じられない       幼なきころを想いつづける

無意味 無機質 無関心        どこかに忘れた 夢の数

何も無いない 世のなかだけれども   指折り数えて うなずく自分も

人生の雑音のなかから         一粒の涙の重さに

あなたの声だけは 聞こえてくる    まさる後悔がある訳じゃない

2                  4

切れば血がでて            死して屍 灰となり

いのちが切なく泣いている       天高く散り行くがいい

貰ったいのちの嬉しさは        授かったいのちの尊さこそ

ひとつの乱れもない 脈拍にある    一片のいのちが舞う 美しさにある

生きて生き抜き 死に絶える      無意味 無機質 無関心 

いつか来るくる 人の世だけれども   何も無いない 世のなかだけれども

からだじゅうを駆けめぐる       人生の舞いのなかから

あなたのいのちだけが 私を活かす   あなたの姿だけは いつも見えていた

悉有仏

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苦が植わる

父母は苦界農業のなかで五人の子供を産み育てた。

田畑から父母が得たものは、

「質素の底」の暮らしと「倹約の峰」の生活である。

一時も農から逃れることができない父母に、この世が授けてくれたのは

「光陰の矢」と「老い」であった。

そんな父母の楽しみは、子らの成長と収穫期である。

私は今、父母の苦が植わるこの地に生きている。

父母よ!

わたしは今をもって思うのである。

あなたの作った五穀の作柄は、良であったろうか?

あなたの育てた五人の子供は、善い人間に育っているであろうか? と…。

しつうぶつ

苦が 植 わ る

父 母の苦が植わる この地に           

わたしは生まれた                 

百姓苦年の暦は「倹約の峰」を 生活といい   

「質素の底」を 暮らしとうたっていた 

人生苦年の父 母に   

雨は休息を 陽は歓びを与え   

月は 団欒をもたらし   

時は ゆるやかに   

家族を老いへと導いていき   

子どものわたしは 

幼いたましいとともに 

伸びやかな日を過ごしていた  

 

そんな家族に 日は一つの妥協も許さなかった    

陽が昇るたび 父はわたしから消えてゆき   

月が照るたび 母はわたしから離れていった    

なれど忘れはしない 

父の節くれだった 太い指と土色の爪                        

苦年花をいつも明るく咲かせていた 母を       

そのすべてが 血となり 骨となり

こころとなり 五つのたましいとなった

父 母は 農に一日のお椀をたくし

今日の汗を 寝床で語る

四季は そんな父母の道しるべとなり

子は その父母の生きる糧であった

父 母の苦が植わる この地に

わたしは今を生きている

父 母は今日も農につき

  一日の汗を 寝床で語っている 

わたしのこころの四季の導きは 

日のように 正確に巡っているであろうか

あなたの作った五穀の作柄は 良であったろうか

悉有仏

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会いたくて

わたしの知り合いの女性が来春寿退職をすることとなった。

今彼女は30歳。彼氏とは三年ぐらい前に知り合ったといっている。

彼は今、W市で勤務している。当然彼女とは遠距離恋愛となる。

それは辛いものであろうと察しがつく。

離れていてもお互いの恋愛関係が固いきずなで結ばれることもあるが、

会いたいという気持ちが自分の感情を乗り越えて我慢できなくなるようだ。

きっと、今までにも何度か、そばにいない寂しさに押しつぶされそうになったなちがいない。

彼女は来春挙式だけするようなことを言っていた。

その時に、きっと、こういう気持ちになるだろう。

しつうぶつ

会いたくて

あなたがわたしのこころに住んでいても

いま ここにいない…

あなたと愛を語りあっていても

いま そばにいない

私が求める愛は

あなたのぬくもりのなかにあるの…

会いたくて 

愛がいじけそうになったとき

静かに 目を閉じ

愛と一緒に二人の夢をかたるの…

そんな わたしが 今日 

あなたのぬくもりのなかに

永久引っ越しをします !

やっと 叶えられたの…

悉有仏

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くらふと工房 悉有仏


ジオラマクラフト製作
 

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