朗読をしましょう!
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2021・07・15
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夏の読書会
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今回の読書会で
五一年前に乗船した「蟹工船」の話しをすることになった。
この話しを今まで話したことがなく、今回初めての試みであった。
何をどのようにお話しすればよいのか?
色々と考えたのだが、
私の考えがまとまる速さよりも、
あっちこっちの草の生えるのが早くて
草刈りに頭も身体も引っ張られてしまった。
草刈りの終わりにめどがついたころ、
朗読会も間近になり、
ますます考える余裕もないまま前日となった。
そういえば、去年の今頃に、
四月の西カムチャツカを思い出して書いた、
詩 「掌の命 蟹工船」
があったなと思い出した。
よ~し!
この詩を切り口に話しを進めていこう!
と決めたのである。
当日はぶっつけ本番!
台本無し!
であったが、
それでもわたしの話しとしては良いほうであった。
上出来です。
てなわけで、話しの突破口であった詩を紹介しましょ。
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掌の命
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蟹工船
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兎が飛び 荒れ狂う
四月の西カムの海に
みぞれ吹雪が刺さる
鼓膜を揺さぶる
重々しい風の音が
ゴオォー ゴオォーと
操業開始の儀式を
執り行っていた
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「一年ぶりだな!」
限界峠の観音さまが
地獄の淵に
経文柵をこさえていた
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オカの日常を 脱げ!
西カムの日常を 着ろ!
今から おまえの掌に
おまえの命をあずける!
そうだ!
今日からはおまえの命は
おまえが守るのだ!
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心配無用!
限界峠を超えたそのときに
少し大きくなった
おまえの命を返そう
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離すなよ!
あたためよ!
ここは
命を一番身近に感じる
非日常の領海なのだ
死を意識せよ!
だから死から離れられる
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そうよ!
非日常だからこそ
命あっての物種よ!
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2020・07・24
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蟹工船の話しを人前で話したことがありません。
話しの核心になると言葉が見つからなくなるのである。
その現状を、その状況を、その苦を、
その肉体状態を、その折れそうな精神を、
どの言葉で表せばよいのか、
文字であらわすとしても、
文字列を組むことなどできない。
文字が繋がらないのである。
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こころのなかで操業している蟹工船を
文字なり言葉などで表すことができない。
その現場は日常を超越している
非日常の世界なのだから。
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2020・01・23
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冬の読書会
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以前、チロマスさんから
「洞爺ブルー」という
弟さんが作曲したCDをいただいたことがある。
その時は、弟さんは、こんなこともするんだ
ということぐらいしか思わなかったのである。
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毎年チロマスさんの誕生日(1・11)に
私は詩を作りプレゼントしていた。
二〇二〇年の誕生日祝いに
「重さのない荷物」
を書いたので、それをメ~ルで誕生日祝いとして贈った。
その時に、前書いた
「いただきます」
という詩も一緒に贈ったのである。
毎年、私の誕生日(1・18)には
そのお返しにチロマスさんの風景写真に一言添えて
誕生日祝いとして贈られてくるのであった。
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でも今年は違ったのである。
チロマスさんが弟さんに頼んで
弾き語り朗読「重さのない荷物」
と、弟さん自身が作曲し歌っている
「いただきます」
が、メ~ルで送られてきたのであった。
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それを聞いたわたしは
身体いっぱいに感動を得たのであった。
この度の読書会に
お披露目をさせた頂いたのである。
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それを聞いた
会員の皆さんの感動が伝わってくるのであった。
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今回の読書会は
冬をテーマ―におこなわれた。
わたしはまた自前の詩を朗読した。
「明と暗」と「顧みる」である。
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「明と暗」は
雪原を撮った風景である。
この写真九枚をチロルのマスターから
私の師匠の作品です。と見せられた。
以前から、師匠といわれるお人は
どのような風景写真を撮る人なのだろう
と、思っていたので興味津々で小さなアルバムを
開いてみたのである。
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モノトーンで雪原の風景を撮っている。
日中の風景だが闇夜の風景にもみえる。
夕べに降り積もった雪が風に飛ばされ
少なくなってはいるが
残雪がかすかに雪原の起伏を覆っている。
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私はこの絵をみて、深~い物語を
感じたのであった。
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何度もなんども見ているうちに
絵が訴えていた物語を
私流に感じ取れたのである。
それが
詩「明と暗」であった。
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雪原風景だとばっかり思っていたら
なんと
家の裏の雪捨て場だというではないか?
ますます、
師匠の感受性が優れていることに
驚きを隠せなかったのであった。
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「顧みる」
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チロマスさんが毎年作ってファンに贈呈している
卓上カレンダーがある。
それは
カレンダーとチロマスさんが撮った
一月から一二月までの風景写真と
それに見合った各月の句の清書でできている。
二〇一九年まで書を書いていた方が
何かの事情で書けなくなったので
私にお鉢がまわってきたのである。
その十二枚の写真をみながら書いたのが
詩「顧みる」
である。
やや二十年ぶりに書を書かせていただいた。
十二枚書き終えて得た安堵感は
私が書を書くやる気を引率してきたのである。
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近々、書でもまた書いてみようかとも
思う日々であった。
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2019・6・20
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朗読会がおこなわれた
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わたしは、自前の詩を一編
「ベートーヴェンを聴きながら」
と
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四季一視点描画の
文章を朗読させていただいた
四季一視点描画は
四季の移り変わる引継ぎを
コミカルに描いた作品である。
観衆にうけた!
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四季一視点描画
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それぞれの四季女を個性豊かに朗読してくださいね!
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2019・05・11
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「魔女の部屋へようこそ」
という小さなイベントが図書室でおこなわれた。
わたしは前回同様また
紙芝居をしたのである
お題は
「ナナばあさんのまじょスープ」
幼児向けかな?
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子供たちに
おおうけ!!だ!った!!
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2019・03・27
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ポピー会で
昔話の会が行われる。
わたしは
昔話「したきりすずめ」の
紙芝居をすることとなった。
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練習!練習!だ!
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2019・03・21
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NHK 朗読会
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NHKアナウンサーによる朗読会が
伊達カルチャーセンターで開催された。
わたしははじめての経験であった。
改めて、朗読の楽しさと、難しさを感じた。
ポピーの会員の皆様に
感謝!感謝である。
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2018・9・30
第11回 図書フエステイバル 開催
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久保内の子供たちとの群読
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久保内地区の小学校の子供たち、
1年生 1名
5年生 2名
6年生 2名
の5名と、ポピーの会会員の
2名を入れての群読を行った。
題目は落語から
「まんじゅう こわい」を群読した。
当日練習を入れて4回行っての
本番であったが、出来は
「すごく よかった」との評価であった。
良かった。
「みんな!がんばったね!」と
いっぱいいっぱい、褒めてあげた。
そして、
校長先生・教徒先生・担任の先生、
最大限のご拝領を賜りありがとうございました。
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今期で久保内朱学校は休校となるのである。
この度の群読は、その思い出つくりと、
人前に出ての冷静さを身につける一環としておこなったのである。
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子供たちは、どのように感じたであろうか。
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群読の様子
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みんな!
ありがとう!
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虫のワークショップ
2018年8月7日
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会員のN女史の指導のもと、昆虫を主体にした多様な行事がおこなわれた。
図書内に隠された昆虫探しや、指で描く蟻の絵柄を連ねて蟻行列を作ったり、
蟻に関する絵本の読み聞かせなどが行われた。
その一つの読み聞かせを私が行ったのである。
25名ほどの幼児らの前で、68歳の読み聞かせデビューをしたのである。
このおじさん、ともみちゃんといいます。一同声を出して笑ってくれた。
朗読本は「ありんこ ぐんだん」ぶっつけ本番である。
ともみちゃんは額に汗して、頑張ったのであった…。
D女史司書に「ちゃんと、いえてたかい…。」と聞いたら、とっても良かった
との返答であった。
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うれしい。
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読書会
2018年6月21日
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この度の読書会で、会員の中で俳句好きなKさんが俳句のことを熱く語ってたのが
印象的であった。
なにやら、これから月一回会を開くことが決まったらしい。
じゃぁわたしも、この機会に俳句でも勉強させていただこうかなぁ。
当日、お客さまのTさんが「北海道人」松浦武四郎を6ページ抜粋で朗読してくれた。
初めてしたと彼は言っていたが、大変上手であった。皆さん、聞き入っていたようだ。
私はというと、自前の詩を二篇朗読をさせていただいた。
その詩は、「ささ舟のゆり籠」と「人生に舞う」である。
出来は自分で言うのもおかしいが、上出来ではなかったのか?
病み上がりで、滑舌も少しおかしいなかの朗読でしたので、良かったとおもいました。
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つい最近、68歳にしてはじめて絵本を買った。
これが自分ながら不思議でならない。
買ったのは「からすのぱん屋さん」である。
あれほど嫌な朗読だったのに、絵本を開いて朗読の練習をしているのである。
これが不思議でならない。
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読書会開催する
2018年3月24日
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図書室で3月24日に朗読会がおこなわれた。
会員7名でピアノ演奏と群読をした。
ピアノ演奏者も、勿論、会員です。
群読は「おじさんの傘」です。
勿論、主役のおじさん役は、私、土屋であります。
絵本の朗読デビューでした。
面白かった!
次に、私の番で、「朗読 親」を単独で行ったのです。
私の両親のことを、六篇の詩とお話しを交えておこないました。
次に、鈴木邦子さんの「枕草子 桃尻語」のお話しでおこないました。
これは、拍手喝さいでしたね。
最後は、曽我保子さんの、森鴎外作「高瀬舟」の朗読でした、
気負わずにさらさらと読み進めていきましたので、
その情景さえも感じられる朗読になっておりましたよ。
会員それぞれに持ち味を生かした、朗読会でした。
とっても、良かったです。
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朗読 「親」
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こんにちは。
今日は、私の亡き両親のことを、詩の朗読とお話しで振り返ってみたいと思います。
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子供のいない人は沢山いますが、親のいない子供はいません。
子供の存在そのものが親の存在の証しです。
命あるものの正当な循環だとおもいます。
その循環の中に皆さんの誕生も私の誕生もあります。
誕生から、4歳ぐらいまでの自分を知っている人は親、兄弟とご近所のみなさんです。
私の知らない私を、その人たちが記憶している。
ですから、その人たちが、一人欠け、二人欠けてくると、何やら自分史が薄くなるようで
寂しくなります。
自分が知らない自分の日を、誕生日というそうです。
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詩 ぼくがしらない 僕
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今日 ぼくが生まれた日
おとうさんも おかあさんも おねえちゃんも
おじいちゃんも おばあちゃんも
ぼくが生まれた時をしっている
けれど ぼくはしらない
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今日 ぼくの生まれた日
ぼくがしらない 僕の日
でも
これだけは わかるよ
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真綿のような
ふんわり あったか~い
家族の愛のなかに
ぼくは 生まれたンだ !
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私は、二歳のころ小児麻痺にかかりました。
発症時のわが子の姿を見た両親の驚きは、今も、想像すらできません。
特に、母の驚きは察するに余りあるものであったに違いない。
母の心の中で、我が子の人生が音を立てて崩れていったことでしょう。
私が子の親になってから母の気持ちを少し、理解できるようになりました。
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詩 生きて
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おふくろがいいました
「おまえは からだが丈夫ではないのだよ
母さんの愛がたりなかったね・・・」と
おふくろは毎日 俺のことを気づかい
俺はおふくろの やさしさのなかで
からだをのばして生きてきた
きっと おふくろの指は
血がにじむほど 祈りのために
指を組んだに違いない
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かわいそうな 息子のために
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高学年になると家が貧乏であることを、だんだん理解できてきました。
家は、農家です。本当に水飲み百姓でした。
そのため父は倹約家になりました。
倹約は父を筋金入りの超辛抱人間にしたのです。
きまじめで、堅物で、怒鳴り口調の父でしたが、
母はいつも、ニコニコとほとけ様のような人でした。
そんな家庭に、五人の子供、五つの魂が生まれたのです。
父母は、子どもの成長を楽しみに苦の年月を砕き、
それを肥料にし畑にまき続けてきました。
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詩 苦が植わる
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父母の苦が植わるこの地に
わたしは生まれた
百姓苦年の暦は
「倹約の峰」を生活といい
「質素の底」を暮らしと詠っていた
人生苦年の父母に
雨は 休息を
陽は 歓びを与え
月は 団欒をもたらし
日は ゆるやかに
家族を 老いへと導いていき
子どものわたしは
幼いたましいとともに
伸びやかな日を過ごしていた
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そんな家族に
日は一つの妥協も許さなかった
陽が昇るたび
父はわたしから消えてゆき
月が照るたび
母はわたしから離れていった
なれど 忘れはしない
父の節くれだった 太い指と土色の爪
苦年花をいつも明るく咲かせていた 母を
そのすべてが
血となり 骨となり こころとなり
五つのたましいとなった
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父母は 農に一日のお椀を託し
今日の汗を寝床で語る
四季は そんな父母の道しるべとなり
子は その父母の生きる糧であった
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父母の苦が植わるこの地に
わたしは今を生きている
父母は 今日も農につき
一日の汗を寝床で語っている
わたしのこころの四季の導きは
日のように 正確にめぐっているであろうか
あなたの作った 五穀の作柄は良であったろうか
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今に思うと光陰は確かに矢の如くに速かった。
父は、65歳で倒れ、十数年、床の人になると自分を忘れたようだ。
ご先祖様に、延命の願いをする五人の子供は、父の命の炎が
無常の風に吹き消されぬように、
祈りの指を組み、父の周りを取りかこむだけだった。
父は、77年の生涯を閉じたのです。
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母は、70歳の時、父の看病に来てその病室で倒れ、
そのまま、父と同じく病床の人となったのです。
そして、3年後人生を終えました。
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私は子供のころ、
お祭りや、地神祭、田植え…、 雨降り…、そして、冬…、が大好きだった。
学校から帰ると母が家にいるからである。
「かあさ~ん! ただいま!」
と 心のなかで何度言っても…
大好きな、アキちゃんが、もう、いない…。
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詩 アキちゃん ― 母 ―
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心身(からだ)じゅうに 息をはずませながら
小さな昔が走る
あなたの笑顔を振り返りながら
わたしの小さな旅は
いつも あなたから始まる
「お帰りなさい」の あなたの笑顔をみたくて
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HEART
たしかに あなたはここに生きている
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こころのなかに
ゆるやかな線を描きながら
優しさがまじわる
きっと この時の私の顔は
あなたがつくった あなたの笑顔
いつも変わらぬ 透き通った優しい笑顔
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HEART
たしかに あなたを感じ生きている
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あなたのなかで
思いやりという 愛と
あたたかな ぬくもりといういのちを授かり
俺は 生まれてきた
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アキちゃん
合わせる両手が 今の俺
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私が、小学校から帰ってくると、家には誰もいなかった。
家に入るのが、怖くて。
ランドセルを玄関に投げて、畑で仕事をしているお婆のところへ走っていったものです。
「お婆、腹減った~。」
優しいお婆は、私の手を引いて家まで連れてってくれる。
お婆が、土で汚れた手を井戸水で洗う。
すると、その手が、水で黒光りする。
お婆は、その真っ黒な手で、「コゲの 塩おにぎり」を握ってくれた。
その、旨かったこと…。
今でも、その味を心はおぼえている。
そのお婆が、私が高1の時、77歳で亡くなった。
当時の77は、本当にお婆でした。
今、あのようなお婆は、どこにも見当たりません。
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そんなお婆の姿に、
一度も見たことがない、父母の年老いた姿を重ねて思いはせたものです。
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詩 背と手で
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母が かわいい姿で
ふんわり まあ~るく 小さくなって
おすわりしています
そうっと やさしく なでながら
背と手で お話ししましょう
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「かあさん あなたが 大好きです」
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今年、その母の27回忌にあたります。
7月のとっても暑い日でした。
先日、法事のことを考えていたら、ふっと、超越50音の詩の世界から、
詩が、ぱ~っと、湧き出て来たのです。
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詩 想 い
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母の姿を 見失い
母の声を 懐かしみ
母のぬくもりを 手探りし
母のまなざしを 恋しがる
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「母さ~ん!」
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記憶の端まで想いが飛ぶ
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本年 戌の年 夏
母の積み石 二十七個となる
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随筆「限界峠を超えて」の紹介
20182年月22日
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わたしは、このたび、
「恥の上塗り文庫」から、随筆「限界峠を超えて」を、出版させていただきました。
わたしの夢が、半世紀ぶりに叶えられた、瞬間です。
発刊にあたり、お力添えをいただいた皆様に、心より御礼申し上げます。
今日は、この随筆を、どのように、書き上げてきたのかを、振り返ってみたいと思います。
この本は、半世紀前に西カムチャツカ 蟹工船 協宝丸に乗船した経験談です。
半世紀もの間、わたしの心に大事にあたためておいた、人生の最高傑作品です。
傑作品だといいながらも、西カムチャツカのあの苦労、苦難、苦痛を経験したとおりに、
書けているかといえば、まったく、そうではありません。
まず、この随筆を書こうと、思い立ったのは二回目の脳梗塞が決め手です。
この先、三回目の脳梗塞に見舞われ、その後遺症で、言う、書くなどの動作を、
奪われたなら、もう、文字にも、言葉にも、表すことができなくなるのではないか。
そうなると、その姿は、ある意味、私ではなく私の抜け殻ではないかとおもったのです。
だから、今、この元気なときに、随筆として仕上げておこうということになりました。
でも、この本を、書き進めていくうちに、
「自分には、物書きの才能がないなぁ。」と痛いほど知らされましたね。
文章を書くときには、頭脳もフル活動しなければいけませんが、私の場合「想い」という
感情が重要でした。
たとえば、「貴重な経験なので、書き残しておこう」とか、
「稀な出来事だから、皆さんに知っていただこう」だとか、
「これを読んだら、よろこぶかなぁ」とかこのような想いを、しっかりと、最後まで
維持していかないと、書き上げることなどできなかったでしょう。
たとえ、途中で投げだしても、誰にも迷惑がかかりませんし、軽い挫折感を自分だけ、
味あえばよいわけです。
このような、大きな逃げ道があるのに、今回は一度も後ろを振り向くことなど
ありませんでした。
随筆なので。必要資料は、全部頭の中の引き出しにあるわけです。
よほど、特別な情報でない限り不足を知りませんでした。
どの引き出しをいつ引き出すかを、見極めながら処理していくわけですが、
私の場合、これができなかった。
数個の引き出しを同時に開けたり。
知りたい情報が入っている引き出しが、さび付き開かなかったりするわけです。
要するに、思い出せないということですね。
詩を書く場合は、文章とは違い考えて作るものではありません。
心にぱっと浮かんでくることばを書き留めていく。
これが、わたしの詩を書く、です。
この度の、随筆は頭の中の引き出しから情報をだし、その情報を、どのように
文字表現すれば、あの時の、あの心情が、あの光景が、文字写実として
表現できるのか。今回は、この表現力を大いに問われた文章創作でした。
数えきれない引き出しの数や、その時々の心情、風景、光景などは感覚としては、
伝わってはこないのですが、記憶として鮮明に存在しています。
これらの断片をつなぎ合わせる接続文章はなにがよいのか。
また、次の文章のために、今の文章の末語はこれでよいのか。
数え切れないほど書き直しをしました。
遠いソ連 領海の西カムチャツカ カフラン沖で操業していた蟹工船のあの光景を、
皆さんが、この文字列を読んで心の中に思い浮かべることができるのであろうか。
文字を並べた文章だけではなく、詩のような文字描写表現で、文字列を組み立てて
文章創作を、こころみてはどうか…。
と、おもいたってからは、詩の世界の超越五十音の組み立てに夢中になっていました。
西カムチャツカの四月は、空も、雲も、吹雪も、風も、海も、波も、空気も、太陽でさえ、
灰色でした。
いま、私の心に残っている記憶の四月も、灰色の濃淡で細部まで描かれています。
皆さんは、灰色の世界を想像できますか。
深い、西カムチャツカの闇が、母船を丸ごと呑み込んでいく怖さを、想像できますか。
「明日、倒れるなぁ」と、毎晩、肉体と精神に問いかけて寝る。
そんな、地獄の淵をさまようわが身を、翌朝、一瞬に、勤務体制状態にできる
強固な信念を想像できますか。
この状況を、文字表現するなどということは、わたしには到底できません。
この想像しがたい、心情を、何とか表現したいと知らず知らずに、
背伸びをしていた、わたしに心は無上の表現方法を示してくれたのです。
それが「無垢の熱意」でした。
無垢の熱意は純粋の熱意であって、小手先の変な小細工など使わずとも、いまの自分で
文字表現すれば、皆さんに私の熱意が理解されるのではないか…。
その気持ちが、とても大切なことに気づかされたのです。
それからは、そのままの自分で文字表現し、詩的表現させていただきました。
今、日本中どこの港へ行っても、母船を見ることなどできません。
蟹工船の話しさえ、聞くことなど無理でしょう。
西カムチャツカ・母船式蟹加工船漁業は、禁漁になって45年以上も経っているからです。
勿論、今も、禁漁中です。
「蟹工船」の著者、小林多喜二氏も函館まで出向き蟹工船の経験者から情報を得て
書き上げたと、いわれています。
わたしは、おかに上がって半世紀になろうとしています。
この経験は、私の人間形成の背骨の一部になっていると確信しています。
現に、この強固な信念にどれほど助けられたことか…。
最後に蟹工船を思い出しながら書いた、
二つの詩を二度朗読し終わりにします。
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経 験
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経験とは
決して 消滅することも なく
決して 盗まれることも ない
心に
永遠に生き続けていく
不滅の たからなのである
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多くのたましいの上にたち
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思い出が 遠く 小さくなると
記憶の河に 流れて行く
だが のこされた 記憶のかたまりは
くちはてず より近く
そして より鮮明となる
あぁ わたしの不滅の たからは
北洋 西カムチャツカを 築きあげた
多くの熟練のたましいと
わたしの 未熟なたましいが 創りあげた
最高傑作品 なのである
今も ウサギが飛ぶ 海に
めくるページの 音がする
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