小耳に はさんで 持って帰ってね・・・ 

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宇宙包含

悉有仏

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唯識思想

フロイトの心のとらえ方と唯識思想の相違。

フロイトの精神分析

1 心を一括して意識と呼び、かつ大きさを持ったものととらえる。したがって、

  心を浅い層と深い層とに分けることができ、無意識が「深層心」と命名された。

唯識思想

1 心を識と呼び、眼識から阿頼耶識の八識に分け、かつ大きさも形もないものと

  してとらえる。したがって、心には浅い、深いということはなく、本来的には

  阿頼耶識を深層心と呼ぶことはできない。したがって、眼識・耳識・鼻識・舌識

   ・身識・意識のグループと阿頼耶識とあえて区別すれば、前者を「現れた心」、

  後者を「隠れた心」と呼ぶべきである。

フロイトの精神分析

2 深層心としての無意識は、意識されないもの、すなわち意識の領域に上がって

  こない心の層のことをいう。

唯識思想

2 深層心としての阿頼耶識から一切の現象が変化して現れる。したがって、

  一切は阿頼耶識であるということもできる。

フロイトの精神分析

3 無意識の存在は、正常人の記憶違い、言葉の使い間違いなど、あるいは心身症の

  患者の言動などの観察を通してあると仮定されたものである。

唯識思想

3 阿頼耶識は、ヨーガ行者がヨーガを修することによって自ら発見したものである。

フロイトの精神分析

4 心は「ありてあるもの」である。

唯識思想

4 心、すなはち識は必ず認識対象を持つものであり、したがって認識対象がなければ

  認識する主体、すなわち識もなくなる。

  すなわち識は「あるようでなく、ないようである」ものである。

 

 道元の疑問

道元禅師は比叡山での修学時代に、ある大きな疑問を持ちました。当時、比叡山で

は次のような教えが説かれていました。

 

本来本法性(ほんらいほんぽうしょう)…人間は本来、仏の気持ちを持ち、

天然自性身(てんねんじしょうしん)…生まれながらに仏の身体を有している。

 

道元禅師は、「本来仏であるならば、なぜ、仏となることを願い、厳しい修行を積

む必要があるのだろうか」というものでした。

ところが、当時の比叡山の指導者に尋ねても、明解な答えは返ってきませんでし

た。最後に、三井寺の公胤(こういん)を訪ねて、この質問をしました。

公胤は当時の顕密(けんみつ)の明匠(めいしょう)でしたが、この質問に対する

答えは次のようなものでした。

 

その質問には、たやすく答えることはできない。

ひそかに伝えられた家訓はあるが、お前の疑問に充分に答えることはできないであ

ろう。聞くところによると、宋の国には、仏教を正しく伝えた宗派(禅宗)がある

という。その答えは、自ら宋に渡って、求めたらどうであろうか。

『三大尊行状記』

 

つづく

 

 

 

 

 

生には限りがある

 

カトリックの カンドラ神父が書かれていた。


北イタリアのある墓地の石の門に、こんな銘文が刻まれているそうです。

 


 

「われもかって汝のあるごとくなりき 


                汝もやがてわれのあるごとくならん」

 

これは 、死者の側から生きている人へのメッセージです。

「私も、あなたのように生きていた。あなたも、私のようになるのだ

誰でも、やがては墓に入るのだということを教えています。

宗教は、人間が生きることの有り難さを教えるとともに、また、人間の終着点には

死があることを教えています。

人生最大の苦である「死」を超えるのは、無常の法の認識以外にありません。

死を見つめ、いまいのちあることに感謝しましょう。

 

 

 

悉有仏曰く

「失うに悲しむなかれ われとて 無常の世にあり」 

 

「悉有仏語録」より

 

悉有仏

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投稿 2014 08 07

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摩 訶 般 若 心 経

 素晴らしい現代語訳!

 

悉有仏

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投稿 2014 03 05

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経心多蜜羅波若般訶摩

Microsoft Word - 般若心経(2)Microsoft Word - 般若心経

悉有仏

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般若心経

 

ワンダフル現代訳

超スゲエ楽になれる方法を知りたいか?


誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。


苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。


この世は変わり行くモンだ。


苦を楽に変える事だってできる。


汚れることもありゃ背負い込む事だってある


だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

 

この世がどれだけいい加減か分かったか?

 

苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。


見えるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。


味や香りなんてひとそれぞれだろ?


何のアテにもなりゃしない。

 

らぐ心にこだわっちゃダメさ。


それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。


辛いモノを見ないようにするのは難しい。


でも、そんなもんその場に置いていけよ。


先の事は誰にも見えねえ。

 

無理して照らそうとしなくていいのさ。


見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きる実感ってヤツなんだよ。


正しく生きるのは確かに難しいかもな。


でも、明るく生きるのは誰だって出来るんだよ。

 

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。


愉しんで生きる菩薩になれよ。


全く恐れを知らなくなったら、ロクな事にならねえけどな。


適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

 


勘違いするなよ。


非情になれって言っているんじゃねえ。


夢や空想や慈悲の心を忘れるな。


それができりゃ涅槃はどこにだってある。

 

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。


心の余裕を持てば誰でもブッタになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。


意味なんて知らなくていい、細けえことはいいんだよ。


苦しみが小さくなったらそれで上等だる。

嘘もデタラメも、全て認めてしまえば、苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

 

でも、これだけは覚えとけ。


気が向いたら呟いてみろ。


心の中で唱えるだけでいいんだぜ。

 

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

 

心配すんな。大丈夫だ。

参考 ネット

 悉有仏

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一 句

 

 

梅に桜と巡りくる 我人生の千歳か



     葉桜 梅に実が成りて 時の鞍に我も乗れ


 

 

 

 

今年も梅に桜と花を愛でることができた。


わたしの人生はなんと目出度くも幸せなことか。

ふと想いにふける間に、桜も葉桜となり梅の木にも実が成ってしまった。


時は真実とおなじく草木一葉も揺らすことなく過ぎてゆく。


まるで空中を駆けている天馬のようだ。時の速さには驚愕する。


ならば耳を澄まし時の「いま」と「ここ」を見つけねばなるまい。


そうして、わたしも時の鞍に乗らねば、また巡り来る梅と桜に再会を果たせぬかも

知れぬ。これに乗り遅れては一大事。

何せ現世あってのこと故に・・。

 

悉有仏

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投稿 2014 01 08

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国       歌 

君が代

 

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君が代の真実

 

君 が 代

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の巌となりて

苔のむすまで

 

読み人知らず

 

 

 

 

 

国歌の真実

・1999年 (平成11)     国歌として制定 

・1888年 (明治21年)   対外正式交付 

・1880年 (明治13年)  作曲 

千年前 平安期 

古今和歌集の中の賀歌(がか)祝いの歌として 千年もの間歌われてきた

 

君は世の『君』とは 君 【口(くち)】編に 【尹(いん)】と書く


君とは口編に尹と書く


手  Ⅰ   尹(いん)は 手に杖を持っている状態


尹 = 聖職者


聖職者をさす君とは君主 高貴な人のこという


さらに【きみ】の【きみ】とは?

古事記に登場する神様 男神イザナノミコト 女神イザナノミコ


キ ミ

き】とは男 【み】とは女をさす



いざなう男いざなう女イザナギとイザナミの話しは 誘い合う男女の物語である

イザナキ  成り余るとこあり


イザナミ  成り足らざるとこあり


人は 重なり子を授かることで完全になる その【子】こそが私たち日本人である

 

【千代に八千代に】


神々は完全に成長した 二人を尊い喜んだ


人は生まれ変わり何度でも 繋がりを持って結ばれる


そして愛し尊敬し合う代が 千年、八千年続くようにと

 

さざれ石の巌となりて】


小さな石が結束して 一つになり巌となる


【きみ=男女】の結束 生まれくる子供たち


親戚となるもの達 固く固く団結しあい 協力し合うことの象徴である

 

【苔のむすまで】


【苔】は濡れたものと


固いものがしっかり結びついたところに生える


子孫繁栄


男女がひとつになり 一緒に汗を流し 涙を流し


互いにしっかり協力し合い 長い年月をかけて生育する

 

【きみ】= 完璧に成長した男女が

【代】  = 時代を超えて

【千代に八千代に】= 永遠に千年も万年も生まれ変わってもなお

【さざれ石の】= 結束し協力しあい

【巌となりて】= 団結して

【苔のむすまで】= 固い絆と信頼で結びついて行こう

 

悉有仏

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投稿 2013 10 27

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執着の果てに


Shiyutyaku no hateni

 

 

施 粥 

Se gau 

 

 

 

戦乱時のある町に老婆の高利貸しがいました。


とても高い金利で武家や農民たちにお金を貸しつけていたのです。


高い金利とわかっていても借りにくる人が絶えませんでした。


それほど苦しい時代だったのでしょう。

でもお婆の取立は容赦のないものでした。

その結果がもたらすとおり、お金はドンドン集まりました。

集まったお金を壷にいれ押入れに隠しておいたのですが、貯まればたまるほど泥棒

に盗まれるのではないかと心配で、心配で、夜もおちおち寝ていられなくなるので

す。お婆は安心して寝るために、使用人を使い家のまわりに高い塀を巡らせまし

た。そうして真夜中になるのを待って庭に穴を掘らせ壷を埋めさせたのです。



 

それから幾日は、お婆も少しだけ寝ることができましたが、やはり心配でまた寝る

ことができなくなりました。

「こんな塀など、簡単に乗り越えてしまうじゃろうな…。」

お婆はあることないことを自分勝手に悩み、いよいよ朝まで起きていなければ気が

すまなくなったのです。心配は、心配り不足から生じます。


善業への心配りであるならばよいのですが、お婆の心配りは失うこと、盗まれるこ

とへ偏っていたのです。


とうとう疲労と気苦労とでお婆は床に臥せてしまいました。


 

床に臥せながらお婆は考えに考えたのです。


お婆がこころのなかで垣間見たものは、執着の果てにぼろぼろになった哀れな自分

の姿であった。

「このままでは、わしは死んでしまう。なんのために鬼婆といわれながらも金をた

  めたんじゃろう。死んだら何もかもなくなる…。そうじゃ、金じゃ。金がわしの

  寿命を縮めておるのじゃ。貧乏がなんじゃ。貧乏は生命をとらん。」

ようやくその病の原因がなんであったのか、お婆はさとったのでした。


そうとわかったお婆は使用人を起こしていいました。


 

「起きろ。おまえにわしの金を全部やる。そのかわり、あの高い塀を取り壊してか

 らじゃ。おう、そうじゃ。わしに一握りだけ金をくれんかのう。それでじゅうぶ

 んじゃ。」

それからのお婆は、ようやく夜もぐっすりと寝むれるようになりました。

いままで生きてきて、こんな晴れ晴れとした気持ちになったのは初めてでした。


気づきもしなかった空の青さや、雲のかたち、木々の緑や風のにおい。


なによりも、おてんとう様の下を、真っすぐ前を向いて歩けることが、とてもうれ

しく感じていたのです。

お婆の残り少ない人生が一変したのでした。

「戦乱のこの世、明日の生命などわからぬ…。いや、いや。今の生命とてわから

 ぬ。わしのこころは、いったい、どこに住みついていたのじゃろう…。」

そうつぶやきながら街道を歩いていたら、なにやら人垣ができていて、長い行列に

なっているではないか。


 

お婆は何事かと思い、前をのぞいてみたのです。行列の前に「施粥」と書かれた立

て札が立っていた。


若い男が大きな鍋で粥をつくって、喰うに喰われぬ人々に配っていたのでした。


「若いのに、感心な男じゃのう…。」


と、その男をよく見ると、なんと、お金を壷ごとあげた使用人ではありませんか。

男のそばには米俵が何表も積んでありました。


「おお…。なんとありがたきことよの…。このご時世に、我身の腹より他人の腹と

 はの…。どれ、わしも一杯ご馳走になるとするか…。」

お婆は微笑みながら腰に手をそえ行列の後ろへと並びました。

やがて、お婆の番がきた。


「・・すまんの・・。」


聞き覚えのある声に湯気から顔をあげた使用人が、


ニコっとほほ笑みながら、そのしわだらけの手に世粥をわたしました。


「わしがくれてやった金を、ぜんぶ粥にするのかえ…。」

使用人は答えました。

「これはわたしからではなく、お婆殿の慈悲心から生じた施粥です。わたしはた

 だ、粥を作ったにすぎません。」

「なに…。この粥…ぜんぶ、わしからだというのか…。」

「そうです。お婆殿から施された、施粥(せがゆ)です。これは、お婆殿の慈悲の

 あらわれなのです。」

若い男はそう言い終わると、うなずきながら西方へ目を向けて言うのです。

「身の丈に合わぬ財は、いずれわたしを滅ぼすことでしょう・・・。」

「身の丈以上を・・な・・・。・・・それを、わしは知らなかったのじゃ…。」

そう言いながらお婆は、そうっと自分の足もとに、目線をおとしたのでした。

 

 

白装束一枚はおり、黄泉の国へと旅立たなければならない、事実を知るにつけ、

産、財宝などなんのやくにもたたぬことがわかります。妻子が気が狂わんばかりに

屍にしがみつき号泣しても、誰ひとりとして一緒に来てはくれません

 

  

 

悉有仏

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  投稿 2013 03 24

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善 行 村

Znn gyou mura

 

 

 

 

ひろ~い、空の下。

小さな村の村民全員が善行を重視して暮している。

この村では虫一匹踏みつけても悪と見るのです。

悪は眼悪、耳悪、鼻悪、舌悪、身悪、意悪の五蘊から起こる。

悪の要因は、その人の善行の怠慢から湧きあがってくるといわれれば、ますます村

民は善行に励みました。お互い善の村をめざして、導きあい、教えあい、ほめあ

い、確かめあってきたのです。

 

そして等々、村民全員が善行者に達したのです。

全員が善行者の称号を持っている村には、導きの師は必要ありません。

この善の村は村民の誉れでした。

善の村を汚すものは、流れ行く雲であれ、風であれ、雨であれ、巡り来る季節であ

れ許さない。

それほど村民は固い結束で結ばれていた。

たとえ他の村との交流を断絶してでも、村を守ろうと決めたのでした。

 

だが、この固い結束でもかなわないものがあったのです。

 

やがて、村民はひと味のみの食べ物に味気なさを感じてきた。

昔の味、悪を思い浮かべるのでした。

それは固い結束に怠慢の根が生えはじめてきた始まりでした。

そして一人の村人が疑問を持ちはじめる。

善行を行っているのは、もしかして自分ひとりではなかろうか。っと。

人前では善行をおこない、家では何も守っていないのではないか。

実は村民全員が同じ疑問を、こころの隅に持っていたのです。

 

そうなると、当然それを監視する「監視者」を設けるのは世の常だ。

村民が周り番で監視者を受け持つことになった。

崩れるものはお互いの信頼関係がなくなることからはじまる。

形式だけの係など、結局、なんの結果も与えてはくれない。

形式怠慢回虫はじわじわと信頼を内から喰い尽していったのです。

 

そんなある日、それは行われた。

村民の一人が物陰に隠れ、足もとの小さ虫を踏み殺したのです。

そのときの目は悪の眼そのものであったといいます。

そしてその顔は何かに呪われた声無き笑顔であったという。

それは本人にとって絵にも謂われぬ善行からの開放感であった。

踏まれた虫は、助けを求める声すらだすことも出来ず即死状態であった。

 

それを一部始終見ていた監視者の顔は踏み殺した人と同じであったという。

小さな悪が生み出す開放感は、やがて村中に拡がってゆく。

 

―― 村民の固い結束でも、かなわないものがあった。 ――

 

それは物事は条件の集合で成り立っているということ。

ひとつひとつその条件は変化する。だから物事じたいも刻々と変化している。

この移ろいを村民は忘れていたのです。 人のこころほど移ろうものは無い。

それを常住だと思い込むことから間違いが生じる。

隣村を避けても無常は避けきることはできないのである。

 

村民は水の堰が決壊するかのように、一気に悪を取り戻した。

それはまばたきほどの時間であった。

 

その後の善行村はどのようになったのかは知らない。

あれ以来、世間の話題にならないのである。

普通の村であるということであろう。

 

 

悉有仏

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投稿 2013 02 05

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