~しつうぶつ~ クラフト空想景・PCフリーハンド絵画・詩集
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ペールで覆われた絵画・・ ・・ ・・ まさしく 蟹工船だ!・・蟹工船の労働時間は、朝四時半に起こされ朝飯前の仕事をする。朝食後、四五分の休憩を取り仕事再開となる。夜は毎晩、夜業だ。仕事終了は九時過ぎであった。それからが自分の時間である。短い自由時間の始まりだ。わたしは、その短い自由時間を、最大限睡眠時間に充てていた。だから寝る時間は遅くても、十時三十分頃であった。とにかく早く寝れば切り上げも早く来るとの思いなのである。まるで子供が正月を待ち望んでいるのと、たいして変わらない。そんな蟹工船の仕事は、決して過酷な仕事ばかりではなかった。もし毎日、過酷な仕事であれば心身は二ヵ月も持たないだろうただ、勤務時間が長いのと、休みが無いのが一番きつい。このような勤務体制はオカでもまれにあるだろう。勿論、この条件だけでもきついことには変わりない。だが、オカにいる限り家に帰れる。布団に寝られる。家族、友人にも会える。娯楽も楽しめる。美味しいものがいつでも食べられるのである。また辛いこともあれば、面白く愉快なこともあるだろう。オカにいれば当たり前のことだ。だがこの当たり前の出来事が、ある日突然、プッンと途絶えてしまうのである。蟹工船の一番の辛さは、何といってもオカとの別離だ。船で何が起きても、全部自分で耐えて始末していかなければならない。一番厄介なのは、自分の始末であった。倒れずに仕事を続けるには、どうしたらよいかなのである。ある人は、「四か月でないか…」と、のたまうのである。だが、わたしはこの状況に慣れたと言っている乗組員を、誰一人として知らない。これは、経験した者でなければ、なかなか理解しがたいものだ。・・何事も始まりは、終わりに近づく良い知らせだ。蟹工船も、中身が違うがその言葉だけは同じである。ただ、終わりに向けて進む過程が、そこで働く男達の想像を絶するだけなのだ。では、働くとはどういうことなのか。働くは「人遍」に「動」と書く。漢字をそのまま読み込むと、働くは人が動いて「働く」となる。これをそのまま実行しただけでは、その人はオカでも必要とされないだろう。働くとは「人が人として動く」ことをいうそうだ。六根を奮い立たせるのである。(感覚と認識の基礎となる眼・耳・鼻・舌・身・意を六根という。)だから、働くは根本的に重労働であるという人がいる。わたしのことばに、敏感な動きとすぐれた触覚を持つ蟻と、歩みが遅くとも確かな一歩を進める亀が働きを説いた短い句がある。その句が「働くは 蟻の如く 進は 亀の如し」だ。蟻のように動きと触覚(六根)を敏感にし、進むときは、周りをよく把握し、ゆっくりでも納得のいく一歩を踏む。こんなことなど、できはしないという人もいる。がしかし、大概の人は無意識に行っているので気づかないのである。人が人として動く、その集まりを世間といい、その集団を社会という。このことも、多くの人は無意識におこなっているといわれている。どこにいても、人が人として動かなければすべてが成り立たない。蟹工船も、お互い生存していくうえでの、諸々の不自由な制約を甘んじて受けながら、人が人として動いているので成り立っていたのであった。これは、操業するにあたって大変重要なことなのである。どん底のあの苦しみの中にあっても人としての常識、道徳や躾などが成り立っていた。勿論、完璧には程遠いが、要所々々の常識は少しも揺らぐものではなかった。木樽のタガ締めと同じである。人間形成のタガに、常識というクサビを打って締めていく。その証拠に、四ヵ月もの間、男だけの世界で大きなもめごともなく無事下船できた。これが、人が人として動いていた確固たる証であった。だからあの苦の中にあっても、人間関係は円滑にまわっていたのである。船乗りと聞くと何やら荒くれ者のように感じられるが、それは違う。心根の優しい男集団なのである。乗組員全員が、共通の目標を持って人として動いている。その目標に立ち向かってくるすべての「苦」を、お互い助けあって生き抜いていく。船には、このような暗黙の了解が存在している。蟹工船一年目は、経験がないので、ただただ、我慢と辛抱に耐えるだけであった。耐えることに、ただひたすら耐えるのである。これも初めての経験であった。二十歳になったばかりの青年には、かなり苦痛であったろうと思う。二年目は、一年目の経験を踏まえて、強固で微動だしない覚悟を、自分にしっかり持たせたのである。そうでもしなければ、とてもとても勤め上げることなどできはしない。眼前に現れた出来事に合わせた、柳腰の覚悟である。勿論、真は微動だしない。二年目にわたしは、もう一つ大事な心構えを設けたのである。それが「客観の神」である。もう一人のわたしの設定だ。わたしを不休で第三者の立場から守護し導いてくれる神。知実守護神である。わたしのわがままを、打破してくれる神なのだ。今こころに思っていることが正当なのかどうか、客観の神に問うのである。この行為はオカに上がっても実行していた。・・蟹工船は、切り上げまで一度も港に帰港も寄港もしない。ずうっと海の上なのだ。これが二つの地獄の元凶だ。まさしく、蟹工船だ!船がわれわれに与えてくれたのは、そればかりではない。衣食住も与えてくれた。ただ、衣は鉛の衣服のことで、疲労を意味する。食住はあとでお話ししよう。毎日、鉛の衣服を重ね着していくので、身体が日に日に重くなる。歩く足音さえ、重く聞こえてくる。その疲労感を、毎日体験しながら、一日を終えるのである。これが切り上げまで続くのだ。蓄積疲労を、もっとも知ることになるのは、入浴後であった。過労が、身体の奥から堰を切ったように、塊となって流れでてくる。まるで心身を押しつぶすかのようであった。だからわたしの入浴は、十日か十四日に一回であった。カラダがかゆくて、かゆくて我慢できなくなると “決死風呂 ”ときめて風呂場へ向かう。入浴後、ベッドに横になると身体が沈む…、ではなく、ベッドにめり込んでいくのがわかった。ここまではさしたる問題ではない。問題は、翌朝であった。過労が身体を覆いつくしている。なので、身体が動かない。眼が開かない。起きられない。…休みたい…。…休みたい…。…休みたい…。…休みたい…。もう…ダメだ…。入浴の翌朝は、必ず、辛い、つらい、ツライ、TURAI・決断を迫られる。毎朝、99%の休みたい気持ちを振り切って起きていた。入浴の翌朝は、99.999999%の休みたい気持ちを、100%の出勤体制に立ち上げる。それも数秒の内におこなわないと、仕事に出遅れる。わたしにとって、仕事を休むということは敗北のなにものでもなかった。この決断を「決意の再起」という。文章ではいとも簡単に書くことができるが、この決意は想像を絶する決起の表れであった。その日の朝は起きるだけで、一日分の体力精神力を使い果たすのである。作業服を着て長靴を履いてようやく立ち上がる。鉛の衣服のすれる重い音が身体中にひびく。立ち上げるとその重さに耐えかねて、体全体が数センチ沈んだような気がしたものだ。わたしは毎日、過酷重重重労働と垂直直下深深深睡魔との大決戦をしていたのである。その当時、わたしは「神カモウナ、仏ホットケ…」で信仰心など微塵もなかった。だが、どうやらわたしの心身にも、神仏がおられたようなのだ。数え切れぬほど、窮地に追い込まれたわたしは、何度も神仏に手を合わせた。疲れがたまってくると、夢なのか幻想なのかわからないが、頭に浮かんでくるのである。限界峠を超えていく、我慢の背中を遠くから見ながら必死に願うのであった。「明日も 倒れないように…」厳密にいうと、峠超えはしていないのである。頂上が見えているのに、歩けど歩けど、いっこうに近付いてこないのだ。今日も我慢がぶつぶついいながら、とぼとぼと頂上に向かって歩いていくのが見える。「あの峠を超えたら楽になる…、もう少しの辛抱だ…」といいながら…。そのように強く思わなければ、弱音にスキをみせてしまう。そうなると、あっという間に、弱音にすべてを支配されるのだ。そうしてこのようになる。「朝、倒れているのではないか? いや!死んでいるかも…。もういい…。」ここがとても大事な分岐点となるのだ。私の場合、金より大切なものがあった。それは、休んで敗北の賞をもらうのか。やり遂げて、輝かしい経験を心に刻むのかであった。自分の覚悟は、何を求めて最終章まで来たのかということである。・蟹工船の労働を、苦労働という。苦労、苦難、苦悩、苦痛の苦の労働だから、苦労働なのである。苦がこれだけ集まっても、その隙間から垣間見える、「終・END」 は光り輝いていた。光り輝いている「終」こそ、絶対やってくる峠超え、切上げなのである。だが、本当のところ、蟹工船の苦労働は、苦は苦でも数字の「九」である。九労働という。数字の九のつぎは、ゼロだ。ゼロを始まりだという人もいるが、ここでは、何もかも失ってしまうことを意味する。九を超えると、命さへも危うくなってくるのだ。今、自分の心身が、限界であることを、九労働はいつも教えている。それを超えると、身体に支障が起きるのは、間違いのない事実であった。自分を、ゼロへとおとしめようとする要因は、蟹工船の金銭感覚にあるのだ。・ ・ ・ ・ |
蟹工船 協宝丸の世界
記憶をたどり書き続ける ノンフィクション物語
西カムチャツカ 蟹工船 協 宝 丸