随筆 限界峠を超えて

カムチャツカの真実 9

蟹工船 協宝丸の世界

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カフラン沖

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カムチャツカ  蟹工船



1970 「協宝丸」乗船

1971 「晴風丸」乗船





カムチャツカ漁場航路図

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記憶をたどり書き続ける ノンフィクション物語


万箱祝

函館港から協宝丸へ乗り込むときに、生活必需品は一通り持って乗り込む。

種類は生活に困らない程度に用意するが、その個数は必要最低限しか持たない。

船内で購入できると、蔵田氏が教えてくれたからだ。

船内では、一~二週間に一回、総務担当のヒゲの濃い坂田氏が、各部屋を回り

御用聞きをしてくれる。

「何か、いる物あるか~!」と声をかけるのだ。

欲しい人がいれば、坂田氏に声をかける。

そうしたら坂田氏が「ストァー協宝丸」の申込書をくれる。

その用紙には、日用品から、嗜好品、下着類、洗濯洗剤などが書かれていた。

勿論、週違いで商品が入れ替わるのである。

商品欄の横に個数を書いて、あとは部屋番号と名前を書けば良い。

次の日、頼んだ品がベッドの上に届いている。

この坂田氏は、ユニークな人であった。

とってもヒゲの濃い人で、ヒゲの伸ばし方が面白かった。

顔の左右どちらか半分を、伸ばす時がある。

また、くちびるを境に、上下どちらかの時もあるし、頬だけの時もある。

こんなこと、オカでは絶対できないことだ。ここカムチャツカならではの、

ささやかな楽しみ方だ。

わたしもヒゲを伸ばしていた。消しゴムで消せるような細い産毛みたいなヒゲだ。

よく坂田氏に「土屋! 消しゴム、貸すド~!」とからかわれていた。

ここの地獄は金が要らない。

あちらの地獄は金次第というようだが…。

部屋の仲間が「珍しいもの、見せてやる。」

といいながら取り出したのが、一万円札であった。

あ~、珍しい~、と言いながらみていた。わたしはそのころ一円も持っていなかった。

でも、ここは金がなくとも暮らしていける。勿論、後払いである。

それよりもわたしには食べたいものがあった。

「ストァー 協宝丸」では扱っていない。

だから買えない。 甘党のわたしが食べたいもの。それは、ショートケーキだ。

ところが、ここカムチャツカでも在るところにはちゃんと在る。

われわれの仕事場の小さな冷凍庫を、

四分の一ほど仕切って総務課が食品保存庫にしていた。

なんとその保管庫に、ショートケーキがあるではないか。

箱にちゃんと書いていた。

毎日、ショートケーキを横目で見ながら、喰いてぇなぁ、

喰いてぇなぁといいながら仕事をしていた。

板の仕切りからは、手は入れられない。

だが、喰いたいという気持ちは、全てを可能にする。

バリで仕切り板の釘を起こして、手を入れて取るのだ。後は、解らないように

完璧なカモフラージュをする。仕切り板も、ちゃんと打ちつけておく。

冷凍庫の中で、大の男が凍っているショートケーキを回し喰いする。

床には、絶対喰いカスを落としてはいけない。

そこから盗みが発覚すれば、後で坂田氏に怒られる。

喰ってしまってから、完璧なカモフラージュもないものだ。

箱は少し崩れている。数が足りなくなっている。どこが完璧なのだ!

だが、あの時は、そのように思ったのだろう。

しかし、あのショートケーキは旨かった。今でも忘れない。

わたしは、今もケーキ類は宿敵だ。

もし、敵に出くわしたなら、即刻倒さなければならない。

オレって、いま、糖尿病なンだよね…。敵に倒されまして…。

ショートケーキが、何の目的で保管されていたのか解らなかった。

工場のお偉方や船舶関係者、それともロスケの監督官のデザート用にでも使うのか。

それにしても箱数が多い。

もしロスケの為なら、先に俺たちが喰ってもかまわない。などと、

勝手な解釈の盗み食いであった。

回し喰いは月に一度くらいしていた。

寒い中、あの小さな三角形を、ひと口ずつ三人で食べていた。

だが、敵も勝るもの。盗まれていることに気付いた。まもなく保管場所を替えられたのだ。

仕切り板から一番遠い場所へと。

これは切ないものだ。好物が見えていても手が届かないのである。

まさか、仕切り板を取り除いてしまうわけにもいかない。ウ~ン。残念!

ショートケーキよ。オカにあがったら、覚悟せよ !

というわけで缶詰の製造も順調に進んでいた。

日ソ漁業協定で妥結した箱数に向かって邁進する。

その過酷な労働に対して良いこともあった。

日本人は何事にも節目を大切にする。この船にも貴重な節目があるのだ。

また、それを祝う風習も必ず行われていた。

その大きな祝い事が、万箱祝である。

製造箱数が一万箱ごとに達すると、乗組員全員にお祝い品が支給された。

のし紙に〈万箱祝〉と書かれた一升瓶の日本酒が一本である。

そして、もう一品、配られるのが、あのショートケーキであった。

ああっ。なるほどなぁ~。という思いと、申し訳なかったという詫びの言葉を

こころでつぶやいた。

配られたショートケーキは凍ってはいなかった。

「ほんまもんの、ケーキだ。」

と、呟きながら食べた。

「土屋さん。俺、甘いモノ、喰わねっから。やる。」

蔵田氏が言う。

「あっ。どうも。」

と言いながら、

「俺。飲まないンで、あげます。」

わたしは、自分の一升瓶を下げて蔵田氏に持って行った。

それからは万箱祝の酒は蔵田氏にあげた。

蔵田氏が嫌いで、わたしの宿敵でもあるショートケーキを、

わたしは万箱祝ごとに口に葬ってやった。

ざま~みろ! ショートケーキ! 

確か万箱祝いの日の晩御飯は、普通の日より豪華でなかったかなぁ。

おぼろげに覚えているのは、小さな鯛の塩焼きが付いたような気がする。

そのほかに、山菜おこわとか折詰の赤飯だとか…。


ショートケーキ

一日公表製造数×2+α=実態漁獲数

乗組員向けに「船内新聞 協宝丸」が発行される。

発行責任者は日本人の通訳さんである。

新聞には、ストーリー無し長編連載エロ小説が、毎回大きく一面を飾る。

主人公は疲れを見せることもなく、三行ごとに励んでいた。

読むほうも疲れてくるが、書くほうは目隠ししても書けそうだ。

そうかと思えば、その下あたりに行数が数えられる程度の政治経済の記事が隅を埋めていた。

裏はたしか芸能関係の記事ではなかったか。

そして、半分程度がまともな小説が連載されていた。

ちゃんと読んでいる人がいた。

船内新聞には、オカであった事が色々載っている。

記憶に残っていることといえば、歌手の尾崎紀世彦のことである。

布施明より歌唱力が凄い。

尾崎紀世彦の「また逢う日まで」大ヒット中。

私は、布施明より凄い声量って、どんな声なのだろう、聞いてみたいと思ったものだ。

船を下りてから聞いたが凄かった。

それよりも、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を聞いたことがないから、

聞かせてといったら、エッと驚かれた。ああっ。

俺、船に乗っていたンだと、改めて思ったものだ。

重要なのは各小説でもなければ芸能関係記事でもない。

「船内新聞 協宝丸」の欄の下に載っている、各船団の昨日の製造箱数なのである。

水産五社、日魯・日水・マルハ・宝幸・極洋の製造数だ。

新聞には各社の船名で記載されていた。

この公表された製造箱数が、日ソ漁業協定の妥結箱数になれば切り上げとなるのである。

それは、それは、この上ない楽しみな算数の勉強なのだ。この手の勉強好きが、

必ず一部屋にひとりはいる。

加算された箱数が、妥結数に近づいてくると、乗組員がざわつきはじめる。

このころになると地獄の風景も一変する。

今までと違った光景が見えてくる。

笑顔で明るい、地獄花畑絵図となるのだ。何か乗組員に似合わない風景になっていく。

過酷な状況を乗り越えて、毎日切り上げ箱数を目指して生き延びてきたのだ。

いや、生き延びてきたのではない。死なない程度に、生き延ばされてきたと言っても

過言ではない。

その公表された製造箱数なのだが。

どうやら、日本人の卓越された数字管理方法があるようだ。

それがこの数式だ。

【船団一日公表製造数×二倍+α=船団一日漁獲実数】

これは、五船団共通認識の数式のようである。どこの会社も行っている。

この数式に(×二)もなければ、(+α)もないとすると、切り上げまで

二ヵ月ぐらいで良いことになるという。

要するに、日ソ漁業協定で妥結した、一船団箱数の二倍は獲るということである。

そのうえ、プラスαである。

(×二)なのだから切り上げの時には、妥結数の二倍になっているということだ。

(+α)は、あの巨大冷凍庫で保管されている、甲羅付ボイルタラバ蟹のこと。

われわれが震えながら作った、冷凍タラバ蟹である。

違法品だから、水産庁の監督官が寝ている間に、仲積船に積み替えをするのである。

真夜中の午前0時に「静かに、やれ!」と小声で怒られながらやった。

この二重帳簿のことは、ロスケの監督官も知っていて、暗黙の了解であったという。

うまい酒を飲まされて、珍しいお土産をもらえば、めくらにでもなるってもんだ。

ましてや、鴎でさえ飛ぶのをあきらめた遠いカムチャツカ沖のことだ。

誰も知らない、鴎でさえ知らないことなのだ。

鴎はここまで来るのをあきらめるかもしれないが、日本人はここまで来て

あきらめることなどない。

ところで、タラバ蟹はここカムチャツカの海に、どのような状態で生存しているのだろう。

きっと、二重三重に重なり合っているのであろう。

それでなければ、五船団であれほど獲っているにも関わらず、毎日、毎日甲板に

タラバの山ができるわけがない。

わたしが、甲板に用事があって行ったときなど、こっそり、

タラバを蹴っ飛ばして歩いていた。

「おめ~たち、簡単に、網に、かかるな~」てつぶやきながら。

まったくだ! 餌もついていない網にかかるなっていうの!

船内新聞

タラバ蟹標本の作り方

ここで、タラバ蟹標本の作り方を説明します。

わたしは作ったことはないが、現地で何度も見て覚えています。

みなさんもぜひ覚えておいてください。覚えておいても損はありませんよ。

かといって、これといった徳もありません…。

この標本作りは意外と簡単でして、漁労部の方もお土産品として作っていたそうです。

浮き輪の陰とか網の下とかに、腐敗させるために、水を入れた大きな入れ物に入れて、

放置してあるといいます。

わたしは、漁労部に行くことがないので見たことがありません。

蔵田氏が、甲板員ならあっちこっちでよく標本作りをしているといっていた。

オカでもし、タラバ蟹の標本を作るとなると…。

形がよくて、キレイなカニを買ってきて、食べずに、腐らし標本にするということだ。

これは、やはり、カムチャツカまで来て、 作った方が安くできるのではないか。

勿論、是が非でも欲しいという人がいれば、の、話しなのだが…。

でも今は、まだ、ダメです。禁漁中なので…。

ウ~ン。残念。


では、教えます。ここだけの話しですよ。

タラバ蟹標本製作工程

標本台となる化粧板がなければならない。

できれば木目のきれいな木が良い。

では、始めましょう。

まず、タラバの形の良いものを見つけ出す。

足や爪先の欠落しているものはダメ。

フジツボや付着物がついている蟹もダメ。

甲羅全体の色目の良い蟹。

蟹が全部入る入れ物に水を入れ蟹を入れる。

身が腐ってくるまで放置しておく。

蟹が完全に腐ったら引上げる。

甲羅を外して内臓を捨てる。

肉が残らないように水で何度も洗い流す。

蟹を裏返しにする。

裏の関節の付け根を少し切る。

そこから、針金を曲げた引っ掛けで中の肉を引き出す。

水で何度も流し肉も筋も完全に取り出す。

肉が残っていると腐敗し甲羅が黒ずむ。

こうなると、標本の価値がなくなる。

身を甲羅から完全に引き出したら陰干し乾燥させる。

乾燥が終わったら汚れをふき取る。

拭き取ったら全体にニスを塗る。

次に、標本台に穴をあけ蟹を固定する。

この場合、表から固定した針金を見えないようにする。

完成デス。おめでとう。

たらばかに



 

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