仏 教 コ ピ ー 法 話 !

 

ま ね ぶ

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悉有仏

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 Microsoft-Word---HP-1641[4]

ワ~ド・フリ~ハンド絵画

 

 

 

 

 

 

 ま  る  っ  こ  写  し  法  話   ! 

  ま  る  っ  こ  写  し  法  話   !

悉有仏

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釈 尊 を ま ね ぶ 

 

 「学ぶ」は 「真似る」 から始まるという。

まねぶは 「学ぶ」と 「真似る」の煮込み語。

さあ 完成された煮込み語料理を堪能しましょう。

では 釈尊をまねぶましょう。

言いにくい!

 

悉有仏

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【 最上の幸福 】 

Saijyou-no-koufuku

 

ある人が釈尊に近づいて尋ねた。

 

「神々も人々も、幸福を望み、幸せを願っています。

どうか最上の幸福を説いてください」

 

 

釈尊は答えた。

 

 

「愚かな行いをする者に親しまず、賢者に親しむこと、尊敬すべき人々を尊敬する     

 こと ― これこそ、最上の幸せである」

 

「功徳を積み、正しい誓願をたもつこと…見識深く…(相手を恐れない)勇気のあ    

 る言葉を語ること - これこそ、最上の幸せである」

 

「貧しき人や他の人々に施しをする、理法にのっとり振る舞うこと、親族を守るこ

 と、非難を受けない行動 ー これこそ、最上の幸せである」

 

「悪い行いをやめ、悪い行いを離れ、飲酒を慎み、徳ある行動に徹すること - 

 これこそ、最上の幸せである」

 

「他を尊敬し、自らは慎み深く、足りることを知り、感謝を知り、正しき教えを聞

 くこと - これこそ、最上の幸せである」

 

「忍耐、優しき言葉、聖者たちに会うこと、正しき理法についての教えを聞くこと

 - これこそ、最上の幸せである」

 

「行いを正すこと、正常な行動、聖なる真理を学ぶこと、絶対的境涯を体得するこ

 と - これこそ、最上の幸せである」

 

「世俗的なことに接触しても、なんら侵されることも穢されることもなく、心が汚

 れなく安定していること - これこそ、最上の幸せである」

 

「このようなことを行えば、いかなることに関しても、敗北はない。あらゆること

 において、幸福に達することが出来る ― これが、最上の幸せである」 

 

サンユッタ・ニカーヤ)

悉有仏

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投稿 2015 02 21

 

 

 

 

 【今を生きる賢者の詩】

Imao-ikiru-kennjya-no-uta

 

釈尊の詩

Syakusonn-no-uta

 

過去を追うな


未来をいたずらに思うな


過去はすでに捨てられ


未来もまだ来ない

 

故に、今現在を、今現在においてよく見極めよ


揺るがず、動じず


今現在を明確に知り、実践せよ


ただ、今日なすべきことを、心を尽くしてなせ


誰が、明日の死を知ることができよう

 

かの死の軍隊と出会うのは必定


そのように見極めた者は


心をこめて、昼も夜も


怠りなく実践する

そのような人を「今生きる賢者」と呼ぼう


そして「心静まる者」とも言おう

無二のみなさまに捧ぐ!

HPまねぶ より

 

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][7]

 

 

悉有仏

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投稿 2014 03 23

 

 

 

 

 

 

菩 薩 の 祈 り

Microsoft Word - 瞑想印刷1.doc_20130212_193725_001

四弘誓願

衆生無辺誓願度

煩悩無量誓願断

法門無尽誓願学

仏道無上誓願成

 

悉有仏

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Microsoft-Word---HP-1641[4][9] 

 

 

 

 

 

 

一  休 宗 純 禅 師  

 

Ikkiyuu ー soujyunn ー zennji

 

悉有仏

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Microsoft-Word---HP-1641[4][11] 

 

 

 

 

 

法 話

それ人間のありさま、万事とどまることなし。

もとより生のはじめをしらざれば、死の終わりをわきまえず、やみやみぼ

うぼうとして苦の海にしずむなり。

 

 

人間の姿を見ると、すべてのことにおいて無常で、ひとときも同じ状態が続くとい

うことがありません。

そもそも自分がこの世に生まれてきたことさえもわからないのだから、いつ死ぬか

を予測することなどできないわけです。そのような人生だから、世渡りというもの

は暗々茫々とした苦しみの海を浮き沈みしつつ渡らねばならないのです。

Microsoft-Word---HP-1641413

 

『仮名法語』

悉有仏

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我これなにものぞ何ものぞ 頭頂より尻までさぐるべし。


さぐるともさぐられぬところは我なり。

自分とはいったい何か、自分とはいかなるものなのかと、頭のてっぺんから尻の穴

まで、身体中を探ってみなければなりません。どんどん探り続けていくと、どこに

もこれが自分だというものがないことがわかります。

探っても探っても探れないところ、そこにこそ自分というものがあるのです。

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][13] 

 

『一休蜷川狂歌問答』                   

 

悉有仏

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今日ほめて 明日わるく言う人の口 なくも笑うも うその世の中

 

今日褒めたかとおもうと、明日にはもう悪口を言うのが人の口というもの。

うれしくて笑いの止まらない日、どちらも嘘でしかないこの世なのです。

 

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][15]

 

『一休蜷川狂歌問答』                   

 

悉有仏

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それ人間のありさま、万事とどまることなし。


もとより生のはじめをしらざれば、死の終わりをわきまえず、

やみやみぼうぼうとして苦の海にしずむなり。

 

人間だって、すべてのことにおいて無常である。

自分がこの世に生まれてきたことさえわからないのだから、いつ死ぬかを予測する

ことなどできない。


そのよな人生だから苦しみの海を浮き沈みつつ渡らねばならない。

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][17] 

 

 

『仮名法語』

 

悉有仏

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慈鎮(じちん)和尚のうたに、(中略)


ひきよせてむすべば草の庵にて とくればもとの野原なりけり


これは色相のうえを かろく思召候(おもしめしそうら)えとの心にて候

 

 

「ひきよせて結べば草の庵にて 解くれば元の野原なりけり」(慈鎮和尚の歌)

この歌は、形として見えるもの(色   しき)に執着してはならないということを

言っている。


この形ある世界を無心に生きることができるならば、いつあの世からのお迎えが

やって来ようとも、心のなかに騒ぎたてるようなものは、何も起こらない。

Microsoft-Word---HP-1641[4][19]

 

 

『仮名法語』

 

悉有仏

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そもそもいずれの時か夢のうちにあらざる、いずれの人か骸骨にあらざる

べし。それを五色の皮につつみてもてあつかうほどこそ、男女の色もあ

れ。息たえ身の皮破れぬれば、その色もなし。

 

 

この世のなかで、これは夢ではないといえる時があるのでしょうか。


また、誰がいったい自分だけは骸骨ではないなどと言い張ることができるでしょう

か。それなのに、いちおう色のついた皮膚で骸骨を包んで、やれ男だ、やれ女だと

有頂天になっている。


息が絶え、墓に埋められ、皮膚が腐って破れる。


もはやこの世における身分の上下など、何もなくなってしまいます。

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][21]

 

 

『一休骸骨』

 

悉有仏

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世の中の生死の道につれはなし たださびしくも独死独来  

人生という道は、生まれて死ぬまでひとり旅である。道ずれなどいない。


どんなに寂しくても、ひとりで生まれてきたからには、にとりで死んでいくほかは

ない。

* 独死独来  どくしどくらい

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][23] 

 

 

『道 歌』

 

悉有仏

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釈尊をまねぶ !

 

 Microsoft Word - 釈迦顔.doc_20131209_094825_001

南無釈迦牟尼仏陀 横顔想像図

 

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][25] 

 

悉有仏

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人 の 心 と あ り の ま ま の 姿

 

 

 

【変わりゆくものには実体はない】

 

 

1

身も心も、因縁によってできているものであるから、この身に実体はない。この身

は因縁の集まりであり、だから、無常なものである。

もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、

と思って、その思いのままになし得るはずである。

王はその国において、罰すべきを罰し、賞すべきを賞し、自分の思うとおりにする

ことができる。それなのに、願わないのに病み、望まないのに老い、一つとしてわ

が身については思うようになるもなはない。

それと同じく、この心にもまた実体はない。


心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。

もしも、心に実体があるならば、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その

とおりにできるはずであるのに、心は欲しないにのに悪を思い、願わないのに善か

ら遠ざかり、一つとして自分の思うようにはならない。

 

2

この身は永遠にかわらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だ

れでも無常であると答えるに違いない。

無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問うならば、生まれた者はだ

れでもやがて老い、病み、死ぬ気づいたとき、だれでも、苦しみであると答えるに

違いない。

このように無常であってうつり変わり、苦しみであるものを、実体である、わがも

のである、と思うのは間違っている。

心もまた、そのように、無常であり、苦しみであり、実体ではない。

だから、この自分を組み立てている身と心や、それをとりまくものは、我(が)と

かわがものとかいう観念をはなれたものである。

智恵のない心が、我である、わがものであると執着するにすぎない。

身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わっ

て、しばらくもとどまることがない。

流れる水のように、また灯火(ともしび)のようにうつり変わっている。また、心

の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も、静かにとどまることがない。

智恵あるものは、このように見、このように聞いて、身と心とに対する執着を去ら

なければならない。

心身ともに執着を離れたとき、さとりが得られる。

 

3

この世において、どんな人にもなしとげられないことが五つある。


一つには、老いてゆく身でありながら、老いないということ。

二つには、病む身でありながら、病まないということ。


三つには、死すべき身でありながら、死なないということ。


四つには、滅ぶべきものでありながら、滅びないということ。


五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということである。

世の常の人びとは、この避けがたいことにつき当たり、いたずらに苦しみ悩むので

あるが、仏の教えを受けた人は、避けがたいことを避けがたいと知るから、このよ

うな愚かな悩みをいだくことはない。

また、この世に四つの真実がある。

第一に、すべて生きとし生きるものはみな無明から生まれること。


第二に、すべて欲望の対象となるものは、無常であり、苦しみでありうつり変わる

ものであると。


第三に、すべて存在するものは、無常であり、苦しみであり、うつり変わるもので

あること。


第四に、我も、わがものもないということである。

すべてのものは、みな無常であって、うつり変わるものであること、どのようなも

のにも我がないということは、

仏がこの世に出現するとしないとにかかわらず、いつも定まっているまことの道理

である。仏はこれを知り、このことをさっとて、人びとを教え導く。

 

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][27] 

 

 

悉有仏

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投稿 2013 10 15 

 

 

 

 

こころの構造

 

1

迷いもさとりも心から現れ、すべてのものは心によって作られる。ちょうど手品師

が、いろいろなものを自由に現すようなものである。

人の心の変化には限りがなく、そのはたらきにも限りがない。汚れた心からは汚れ

た世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも

限りがない。

絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。仏の作る世界は、煩悩を離

れて清らかであり、人の作る世界は煩悩によって汚れている。

心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。この世の中で心のはたら

きによって作り出されないものは何一つない。心のように仏もそうであり、仏のよ

うに人びともそうである。

だから、すべてのものを描き出すということにおいて、心と仏と人びとと、この三

つのものに区別はない。

すべてのものは、心から起こると、仏は正しく知っている。だから、このように知

る人は、真実の仏を見ることになる。

 

ところが、この心は常に恐れ悲しみ悩んでいる。すでに起こったことを恐れ、まだ

起こらないことをも恐れている。


なぜなら、この心の中に無明と病的な愛着とがあるからである。

この貪(むさぼ)りの心から迷いの世界が生まれ、迷いの世界のさまざまな因縁

も、要約すれば、みな心そのものの中にある。

生も死も、ただ心から起こるのであるから、迷いの生死にかかわる心が滅びると、

迷いの生死は尽きる。

迷いの世界はこの心から起こり、迷いの心で見るので、迷いの世界となる。心を離

れて迷いの世界がないと知れば、汚れを離れてさとりを得るであろう。

このように、この世界は心から導かれ、心に引きずられ、心の支配を受けている。

迷いの心によって、悩みに満ちた世間が現われる。

 

すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。汚れた心でも

のを言い、また身で行うと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽(ひ)く牛に

車が従うようなものである。

しかし、もし善い心でものを言い、また身で行うと、楽しみがその人に従うのは、

ちょうど影が形に添うようなものである。


悪い行いをする人は、その悪の報(むく)いを受けて苦しみ、善い行いをする人

は、その善の報いを受けて楽しむ。

この心が濁ると、その道は平らでなくなり、そのために倒れなければならない。ま

た、心が清らかであるならば、その道は平らになり、安らかになる。

身と心との清らかさを楽しむものは、悪魔の綱を破って仏の大地を歩むものであ

る。心の静かな人は安らかさを得て、ますます努めて夜も昼も心を修めるであろ

う。

Microsoft-Word---HP-1641[4][29]

 

 

悉有仏

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投稿 2013 10 26

 

 

 

 

 

 

 

【真実のすがた】

 

1

この世のすべてのものは、みな縁によって現われたものであるから、もともとちが

いはない。ちがいを見るのは、人びとの偏見である。

大空に東西の区別がないのに、人びとは東西の区別をつけ、東だ西だと執着する。

数はもともと、一から無限の数まで、それぞれ完全な数であって、量には多少の区

別はないのであるけど、人びとは欲の心からはからって、多少の区別をつける。

もともと生もなければ滅もないのに、生死の区別を見、また、人間の行為それ自体

に善もなければ悪もないのに、

善悪の対立を見るのが、人びとの偏見である。

仏はこの偏見を離れて、世の中は空に浮かぶ雲のようなもので、また幻のようなも

ので、捨てるも取るもみなむなしいことであると見、心のはからいを離れる。

 

 

人ははからいから、すべてのものに執着する。富に執着し、財に執着し、名に執着

し、命に執着する。

有無、善悪、正邪、すべてのものにとらわれて迷い重ね苦しみと悩みとを招く。

ここに、ひとりの人がいて、長い旅を続け、とあるところで大きな河を見て、こう

思った。この河のこちらの岸は危ないが、向こうの岸は安らかに見える。そこで筏

を作り、その筏によって、むこうの岸に安らかに着くことができた。


そこで、「この筏は、わたしを安らかにこちらの岸へ渡してくれた。大変役に立っ

た筏である。


だから、この筏を捨てることなく、肩に担いで、行く先へ持っていこう。」と思っ

たのである。

この比喩は、「正しいことさえ執着すべきではなく、捨て離れなければならない。

まして、正しくないことは、なおさら捨てなければならない。」とうことを示して

いる。

Microsoft-Word---HP-1641[4][31]

 

 

参考書 仏教聖典 

 

悉有仏

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投稿 2013 11 28

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偉大な人として  一

 

 

自分の責任であろうがなかろうが


あなたは迷いの心を捨てたにもかかわらず


自分から進んでこのはかなき世に出現された

 

人に親切にするのには動機などなくてよい


人を愛するのに理由などなくてよい


あなたは友なき人の友となり


家族なき人の家族となった

 

あなたはその身ですら


喜んで他人に捧げた


他の物などはいうまでもない


あなたは命すら惜しまなかった


(その勇気に)人々はどれだけ歓喜しただろう

 

殺されそうになった生き物たちの身を


あなたは、その身で命を


あなたは、その命で救ったことは、


何百回におよぶのだろう

 

あなたは(地獄などの)悪道に堕ちることを恐れず


天界に生まれることは望まなかった


ただ清らかな心


それのみが、あなたの戒律であった


邪(よこしま)なことはいつもその身から斥(しりぞ)け正しきことのみ、行って

いた故に


あなたはその行いが無上の清らかさを持っているただ一人のひとだった

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][33] 

「百五十の節からなる釈尊をたたえる詩」

 

 

悉有仏

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投稿 2013 10 14

 

 

 

 

 

偉大な人として 二

 

苦労はいかに多くとも


あなたの心は気高かった


迷いは焼き尽くしたが


迷える人には、慈悲を与えた人だった

 

あなたは他人のために喜んで命をも捨てた


一度死んだ人が命を得るよりその歓喜は勝っていた


身を傷つけられても痛みを堪(こら)え


人殺しにも慈悲で接した


ああ、師よ


あなたの慈悲こそ正しい智恵の種子、心の宝


ああ、英雄よ


真実の慈悲を知る人よ


あなたは、比類なき人

 

不可能なことを成し遂げて、はじめて


得難(えがた)き境涯(きょうがい)は得られる


あなたは、自分のことなど忘れて


力を尽くし続けた

 

後退することなく


一歩一歩前進し、あなたは高い境地に到達した


故に無上の人となった


心には、いつも大慈悲が満ちている故に


楽しく、実り多い(と人が思う)禅定(ぜんじょう)にすら


目もくれなかった

 

どんな素晴らしい楽しみでも


人々と分かち合わなくては喜ばなかった


正しい行動の人よ


独りの楽しみなど


あなたにとって苦しみであり


喜びではなかったのだ

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][35] 

 

「百五十の節からなる釈尊をたたえる詩」

 

悉有仏

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 投稿 2013 10 14

 

 

 

 

偉大な人として 三

優れた人をうらやまず


劣(おと)った人を軽んずことなく


(それ故)あなたはこの世界を超えた


あなたが、徳を積むのは、徳を求めてのため


徳の結果(の富など)を


願ったことはなかった


それ故、正しい実践を積み続け


あなたの徳は比類なきものとなった

・・・・(中略)・・・・

深い哲理(てつり)と易しい表現の両方がそなわった


あなたの言葉を聞いたら


たとえ害心ある人でも


あなたが一切を知る人であることを


信じないことはないだろう


いつも優しい言葉で語りかけたが


時としては、厳しい言葉も語った


(たとえ、表現が厳しいものであっても)


あなたは無意味な言葉は語らない人であったから


あなたの言葉を「善語」と呼ぶのだろう


時にはおだやかに、時には厳しく


また、ある時にはその両方を使い分けた


しかし私は確信している


あなたは言葉の意味はいつも同じであることを

・・・・(中略)・・・・

あなたの言葉は


欲望の砂ぼこりを沈める雨雲


憎悪という蛇を殺す


ガルーダ(インド伝説上の鳥)だ


無智の闇を破る


太陽の光


慢心の岩山を砕く


インドラ(帝釈)の雷撃(らいげき)


真実を知って虚言なく


煩悩を離れ乱れなく


人々に相応しているから平気である


― あなたの言葉には三つの徳があった

 

 

「百五十の節からなる釈尊をたたえる詩」

紀元二世紀ごろのインドの傑出した詩人、マートリチエータによる釈尊をたたえる詩の一部です。

古のインドの人々が、どのような点で釈尊を尊敬していたかが伺えます。

 

Microsoft-Word---HP-1641[4][37]

 

悉有仏

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投稿 2013 10 14

 

 

今なすべきこと

サーヴアッテイー (シュラヴアステイー、舎衛国ーしゃえいこくー)郊外に、釈尊が

とどまっていたときのこと、「今日は『今を生きる賢者の詩』を語ろう」と、仏は

静に「詩」を誦しだした。

 

 

過去を追うな


未来をいたずらに思うな


過去はすでに捨てられ


未来もまだ来ない

 

故に、今現在を、今現在においてよく見極めよ


揺るがず、動じず


今現在を明確に知り、実践せよ


ただ、今日なすべきことを、心を尽くしてなせ


誰が、明日の死を知ることができよう

 

かの死の軍隊と出会うのは必定


そのように見極めた者は


心をこめて、昼も夜も


怠りなく実践する

そのような人を「今生きる賢者」と呼ぼう


そして「心静まる者」とも言おう

 

 

詩を誦した後、釈尊は一句一句についての細かな説明を行った。

 

(マッジマ・ニカーヤ)

 

 

この「今を生きる賢者の詩」を、釈尊は好んだらしく、アーナンダやカーテイヤー

ヤナらと、この詩を巡って対話したことを示す資料が仏典の随所に見られます。

現実の仏教徒のあるべき姿を示唆する警句として、この詩は、釈尊や仏弟子たち

よって多用されています。

過去を謙虚に反省したり、未来に対し周到な計画を抱くことは、非常に大切なこと

です。しかし、その「反省」が、過去への「没入」になってしまったり、「未来の

計画」が「夢想」になってしまっては、現実からの「逃げ」にすぎません。「現

在」を正しくとらえるための、「過去」の反省であり、「現在」を正しく行動する

ための「未来」の展望でなければならないでしょう。

「今」の自分を謙虚に見つめ、そして「今」の課題に、全力で取り組むことを通じ

て、「心静まる」つまり限りない精神的成長へと、自己を磨いていけると、この詩

は語っているのです。

Microsoft-Word---HP-1641[4][39]

 

参考書 智恵の泉

悉有仏

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投稿 2013 10 27

 

 

 

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