吹雪   猛吹雪  晴れ

やがて…          猛吹雪!        そして… 晴

PCフリーハンド絵画 悉有仏

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2021・04・08

この日の会議をもって

この会を

脱会することとした。

議員の皆様!

お世話になりました。

政治家は

熱い志しをもって

町民の付託にこたえる

使命があります。

政治家は

ご自分の志しを

一人でも

多くの町民に理解をいただく。

そのことに

全身全霊で臨むことが

政治家のあるべき姿ではないでしょうか。

立候補し

無選挙運動で当選する。

選挙ポスター を

提示版に貼る仕事を

その行動を

選挙運動としている。

わたしの知る限り

大方がそうである

候補者の何人かは

選挙カーに乗り

町中で街頭演説を行っている。 

この町では 

とても貴重な人材である。

この街頭演説なり

個人演説会なり

お茶コンなりを実施するために

必要不可欠なのは

候補の志し と 公約なのである。

そして 何よりも 重要なのは

ご自分の 消え去ることのない

熱く燃えた 

熱意

なのです。

それを実施しなければ

どのようにして 有権者は

候補者を知るすべをもてるのであろうか。

小さな候補者紹介パンフレットで

知れというのか?

候補者は

一人でもおおくの有権者に

ご自分の

志し 公約を

知っていただくために

有権者の前に立つと

自然と熱弁になるものです。

それは そうだ!

ご自分の持っている

内なる熱意を知らしめなければ

ならないからである。

わが町の候補者は

もっと もっと

「未来壮瞥」

を 外へ発信しなければなりません。

現政治家が語らなければ

誰が語れというのであろうか?

語れないということは

ご自分の内なる政治家の熱意がない

志しなるものがないと

思われても仕方がありません。

「当選した 暁には~」

という ことばは

それからが 候補者の目指す

「未来壮瞥」

の 施策を実行する場である。

と いうことでしょう。

政治家は

ご自分で 因を発見し

縁という

町民と行政関係者

専門分野の人々の知識の

お借りし実行して行く。

そして

ご自分が描いていた

志し 公約に

達成する もしくは 

近づくということになるのです。

行政の用意されている

チエック作業も

大切な業務ではあるが

それよりも重要な

その重要な問題を

実現するため行動を

町民に示さなければなりません。

政治家になるためには

深い郷土愛

熱い志し

繊細な先見性

たゆまぬ前進が

必要不可欠ではないでしょうか。

この闘志を持たずして

政治家など勤まる訳がありません。

その反動なのか、どうかは

知りませんが

あまりにも

議員は重責であるがために また

その割に給金が低額であったりして

成りて不足が問題になっています。

と、報道されていたのを聞いたことがあります。

これは

低額給金の問題ばかりではなく

ご自分で持っておられる

政治家へなろうとする

資質の問題です。

その資質のなかに、先述した

政治家となる絶対的要素が

含まれています。

この絶対的要素は

政治家を成らしためる

本質そのものといえるでしょう。

当選してからの

実行力が政治運動が

町民に評価されて初めて

自分の施策が芽となり

町民の心に出始め やがて

花が咲き始めるのではないでしょうか。

誰であれ自分に疑問をもたねば

自分の成長の芽を

自分で踏みにじっているのとおなじこと。

もし そうであったなら

疑問の眼をもたない人が

町内のどこを見ても

疑問を感じることなどある訳がありません。

そのような、政治家に

町民は なにを

託すればよいのでありましょうか。

議員に立候補するのは自由です。

当選したら終わりではなく

それからが 始まりであり 

志しを実らせる責務が

重く立ちはだかってくるのです。

政治家になろうとした

志しを忘れることはないと思いますが

周りを注意深く見渡してみると

志しが無に等しい議員が

いることに 驚愕を覚えるものです。

志しは

時代に翻弄されるが

その根本的思想は

無にはならないのであります。

持っていればのことですが。

町民よ!

周りに眼をむけよ!

自分の立ち位置からの

「未来壮瞥」を

 熱く語りましょう。

それが

現問題の起因なのです。

それが

「未来壮瞥」の

提言への解決へ近づく起因になるのです。

無言は

物事を今日に

留まらせてくれるわけではありません。

後退を知らない時代は

その問題提起を

はるかかなたに後退させます。

時代は待ってはくれないのです。

無言に

疑問・問題提起はないのです。

一般質問は

「~鉄砲 数うちゃ~」ではありません。

その質問が実行をされたか

どのように導かれているかを見届けないと 

あなたの質問は ただの

言いっぱなしで終わりです。

中途半端のところに

ぶら下がっているのではなく

あなたの熱意は

地に落ちるはめになるでしょう。

この問題が実現すれば

町民に多大なる恩恵が授かる。

だから

一般質問という時間をいただき

熱弁をふるうのではないでしょうか。

言いっぱなしで良いなら

だれでも 無理なくできますよ。

さぁ!

まずは ご自身のために

そして 町民にこたえるために

GIMON!

ギモン!

ぎもん!

疑問!

を 持ちましょう。


「不思議が いっぱいあれば 生きていける 未熟な 己に ありがとう」

悉有仏偈

未熟な自分を覚ることは

とても大事なことです。

年齢に関係なく

素直なこころで

不思議を知り

知らなかったことを 知る。

これは

ご自分の人間性 人格の

成長を糧にした肥料です。

われわれは

謙虚なこころで

自分の未熟を覚るべきなのです。

悉有仏


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2020 10月8日

議会活動意見交換会

この会は

何度開催しても 無駄!

前回にも言わせていただいたが

議会で 何ができるかよりも

その前に議員一人一人が

どのような活動を通して

町民との信頼関係を密に

してこれたか。 が 

とても 大事なのである。

何もしてこなかった 

といっても 過言ではない。

その証拠に

会の活動報告で

定例の議会報告はあるが

その他

目新しい報告は

何ひとつない。

進歩の兆しがみられない

ことなど 

良く見聞きすることではあるが

こと 議会ならびに

議員のこととなると

「呆れてしまう!」

などでは かたずけられない

ことなのである。

「未来壮瞥」

語れない

議員・議会に

期待の「きの字」も

もてる訳などあるわけがない。

町民は 面と向かって

議員に 言わないだけで

寡黙の人になりきって

「未来壮瞥」と「議員」を

天秤にかけている。

その結果が

あなたのそばでも

起きているのを

感触として知るべきである。

「未来壮瞥」を実現したくて

志 満載に抱き

議員になった

みなさん!

今 どこをどのように

見聞きして

歩いているのですか?

第何回目か忘れた 議会活動意見交換会

2020年 1月8日

新春早々の交換会が開かれた

前回から議長が松本氏から長内議長へ

交換会も長内議長の意向を受け

議員全員参加となった

たいした意見はなかったが

わたし「わたしは、行政マンと話がしたいわけではない。

議員という個々の政治家と意見交換をしたい。」

委員長「この会は、個々の活動ではなく

議会として何ができるかなのである。」

わたし「議会として活動したいのならなおさらのこと、

個々の議員活動が基盤となるではないか。」

いつもと同じ意見が交差するだけであった。

終了後に「ひさご」で懇談会が行われたのは

今後の議会にって有意義であったことは

間違いのないことであったとおもう。

議長来宅

2019年 久保内神社祭典 夜宮祭

長内議長とお話をした。

わたしという一人の町民と

膝を交えてお話ししませんか?

よければ、わたしの家にきませんか。

議長「畑仕事が終えたら、

伺わせてもらいます。」

2019年 12月16日

議長来宅

未来壮瞥のことを

二時間余りにわたって意見交換をした。

この対談そのものが有意義であると思う。

次回は

壮瞥東部地区(久保内・蟠渓地区)

を少し深く掘り下げてお話しをしたいという

約束をして終わりにしたのである。

わたしは

次回以降の対談を楽しみにしているのは言うまでもない。

ありがたいことだ・・・

田鍋町長も

この対談に興味を示しているようであった。

第二回 議会活動意見交換会

2018年 6月26日行われる

6月14-15日の議会を参考にして

一回目と比べてどのような進歩がみられるのであろうか?

期待している。

てなわけで、当日をむかえた。

議員出席者は前回と同じ人たちである。町民側は、私を入れて3名の出席であった。

議会意見交換会の今回の議題は、前回と同じで「議会傍聴者の増加」であった。

前回の開催日は2017年 12月21日ではなかったか?

議員はこの半年間、何の活動もしていないのだろうか。

だから、今回また同じ議題を持ち出し話し合いをしたというのか。

意見を求められたわたしは、「議会傍聴者をなぜにふやしたいの?」と質問をしたら。

議長が「議会をより知っていただきたいから…」という。

町民側のT氏が、議会お知らせチラシの一般質問の内容を、もっと詳しく載せたほうが、

町民により知らしめることができるのではないか?という指摘をした。

それはそうである。詳しいほうがよい。

わたしも答えた。

「傍聴人を増やしたいのなら、T氏の言うチラシの件も良いと思う。

だが、町民の議会に対する理解の底上げをしなければ、無理である。」

といったのだが、また次回も議会傍聴人増加の話になれば、

議員の皆様は町民の議会への興味の底上げ活動の有無の理由を述べてから

本題に入ったほうが良いのではないかと思う。

「来年は選挙である。皆さんの真価が問われるときでもある。

 ある意味一町民として楽しみである。」と私は述べた。

未来壮瞥は議員の皆さんの活動にかかっているからである。

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第一回目 議会活動意見交換会に寄せて

平成29年 12月20日に、議会活動意見交換会が開催された。

壮瞥町議会運営委員会主催で行われたのである。 委員長は、森 太郎氏。

12月14・15日に行われた議会を傍聴されての意見交換会であった。

その時の傍聴人には、アンケート用紙が配られその場で回収された。

私は、事前に郵送されたアンケート用紙を15日に持参し提出した。

当日、議員側は6人が参加された。事務局から2名である。

我々町民は、5名の参加であった。

会が始まる前に、議員の自己紹介がおこなわれた。

委員長が「議員9名全員が参加されたら、皆さん側の参加人数が少ないので、威圧感を与え

たらいけないのではないかと思い、6名の参加にしました。」といい、会が始まった。

「どうぞ、ご心配なく。何の威圧感も感じません・・・。」といいたかったが口をふさぐ。

会が進んで委員長がこう話された。

議会傍聴が一人でも多く参加しやすくなるように、夜の議会開催もしました。

日曜日開催もしましたが、傍聴人数はそれほどでもありませんでした。

議会傍聴人数を増やすのに、何かいい案はありませんか?と…。

誰も発言がないようなので、私が挙手した。

夜も日曜日も開催しても、新聞のチラシ折込を入れても、傍聴に来てはくれない。

個々に諸事情があり参加できないのではないか。と思いたいのだが、一番の原因は、

議会に興味がないからではないか。

興味がなければ、夜だろうが、日曜だろうが、チラシを100枚眼の前に積もうが、

家の隣で開催されようが来ません。興味がなければそういうものです。

ではなぜ、自分の町のことなのに興味がないのか。

それは、町民の日常から議会が遠いからです。近くて遠くに感じている。

私が感じている、近いというのは単なる個人存在で、遠いというのは議員に対する

期待感です。

行政の真っただ中に身を置いているのにもかかわらず、有権者もしくは支持者に対し、

行政活動報告が全然なされていないので、議会に対し何一つ身近に感じない。

だから、興味を持つことができないのだ。

壮瞥町の人口は、2600人です。

この数字は、一秒前に生まれた人も、一秒先に亡くなるかもしれない人も含んでいます。

町議員は9名。計算しやすいように、人口を、2700人としよう。

そうすると、議員一人当たり300人に、議会に対する考えを底上げすればよい。

有権者だけを対象にすれば、250人位になるのか。

これは単に机上の計算である。

要するに、議員がそれぞれの地元で、議員活動報告なり、近況報告会を開催し町民と

膝を交えなければ、町民にとって議会で行われていることが、身近な出来事として

伝わってこない。

この会を繰り返し行うことで、町民側にも議会に物申しやすくなるのは、明白な

事実である。

この会が行われないということが、議会傍聴不参加の現実を作り上げている、

一つの要因といっても過言でない。

と申し上げたところ。出席していたM議長が

「活動するのは、個人の自由なのではないでしょうか…」という。

まったく的外れなことを言った。

だから私は

「いいですか。今、傍聴人を何とか増やしたいというので、そのように答えたのです。」

と返答した。これだけで、私が何を謂わんとしているのか理解できるはずだ。

個人の自由であることは当たり前のこと。

このような後ろ向きの意見であれば、改革改善などありえない。

何の為に議論しているのか、こちらが聞き返したいほどだ。なんとも情けない…。

議員に立候補することさえ個人の自由なのだ。

もちろん当選すれば、私人のある部分が公人となる。この認識が重要なのだ。

議論も中ほどまで進み、また私は意見を述べた。

「今年度の地方交付税交付金が、町予算の42.99%だといいます。これからは、

カットされることがあっても増えることがない地方交付税。来年度も、本年並みに

活動するためには貯えを崩していくのか。

アンケート用紙に、堆肥センターは町の宝です。と書いた人がおられます。

堆肥センターは、今現在本当に町の宝になっているのか。

この宝、血ヘドを吐きながら、子(商品)を生んでいるのではないか。前は、

二千万の年間欠損があり、今、聞き及ぶところ、一千五百万円だという。

一般企業では当の昔に存在しない会社だ。

企業努力として、年間欠損の軽減を図る経営がなされているとおもうのだが、

我々町民には見えてこない。」

声高らかに「町の宝だ!」とおっしゃっている方は、サラリーマンですか、

主婦の方ですか。年金暮らしのお方ですか、農家の方ですか…。

価値観は人によって違う。

私の知人のある町の役場退職者に、堆肥センターの在り方を聞いたことがある。

堆肥センターは絶対儲からない。

生ごみは焼却することで経費がかからず一番良い方法です。

このように言った彼は、役職退職者です。

アンケートの中に、「安い年金生活者が、今冬、灯油が高騰し購入するも大変である。

という現実を見聞きして、町はこのような弱者に救済支援の一環として、福祉灯油の

温かい支援を差し向けるべきである。」と記載されていた。これは四季限定の救済である。

その額も驚くほどに低い予算で解決を見る。

担当各位は、血ヘドを吐きながら子を生んでいる宝のありようを、健全経営化に強く

方向転換し黒字化へ向けてこそ、宝になりうるのではないか。

その利益で弱者に心あたたかな支援をしてはいかがか。

決して不可能なことを言っているのではない。

当初の問題から少し外れたが、町民の諸問題の吸い上げこそ、町発展に繋げていく

正道ではないか。

もちろん、町民とて要望すべてが叶うなどと思ってもいない。

その懸け橋となりうるのが、9名の戦士。議会議員のみなさんである。

もちろん、M議長がおっしゃるように、活動は個人の自由なのである。

では、皆さんに問います。

その自由の後にいったい何がうまれ、我々町民に何を与えてくれるのですか?

これは、私が意見交換会で感じた、ごく一部です。

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投稿日 2017 12 23

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