随筆 限界峠を超えて

カムチャツカの真実 6

蟹工船 協宝丸の世界

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カフラン沖





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カムチャツカ  蟹工船

1970 「協宝丸」乗船

1971 「晴風丸」乗船






カムチャツカ漁場航路図

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漁場へ着くまでの…




蟹工船操業中の休日は二日しかなかった。

函館を出港した日と函館に帰港するその日である。

今日は出航した日である。

二日しかない休日の貴重な一日目である。

その日は、蔵田氏の船内案内と荷物の整理、寝床つくりなどで終わった。

何もしないうちに夜がきて最初の夕食を食べた。

さぁ。明日から蟹工船の始まりである。工場造りがはじまる。

そんなことを考えながら、藁ベッドの上に毛布を一枚敷く。

あと二枚を掛け布団にして枕に頭をのせる。

頭を動かすたびに、ガサガサと藁が鳴る。その音とともに最初の船泊をする。

翌朝、気持ちの良い朝を迎えた。

船の揺れが眠りを誘ってくれたのだろう。

そうだ、今日から工場を造らなければならない。

工場となる場所は船の表側にある。表とは船首側をいう。

その朝、職場の配属もきまった。

日魯札幌支社時代の冷蔵庫経験を活かせと謂わんばかりの、冷蔵庫勤務であった。

船は冷蔵庫ではなく冷凍庫である。

わたしと同期の大嶋氏も、同じ職場であった。

では、ここで工場造りを大ざっぱに書いてみよう。

工場となる場所は表甲板のすぐ下の階にある。

その部屋は、甲板を支える鉄柱が何本か立っている。

床は鉄で、船の中央に向かって少しの傾斜を作っていた。

そんなに広い場所ではなかったように思う。

まず、少し厚手のビニールシートを、工場となる場所の床に、隙間なく敷き

詰めることから始める。

排水溝の個所と、排水の流れの勾配を考慮し敷き詰めていく。

これが工場排水と防水の代わりとなるのである。

その上に工場の基礎が建つ。水平を取りながら床を決め、柱を立て、

壁を張っていく。天井は異物落下がないように、シートを張るのである。

床ができ、壁もできた。天井が張られ、蛍光灯が点いた。

これでひとつの部屋が出来たのである。あとは作業台である。

肉詰めとカンカン(検量)の作業台が四台。そぼろ作り台が一台。

缶に硫酸紙を巻く台がひとつ。

甲板の裁割から降りてくる蟹肉を確保する台。その肉を洗浄し選別する台。

各台を洗浄するときに、肉が水と一緒に流れないように止めておく台が何台

もあった。あとは思い出せない。まだまだあったのは確かである。

工場の真上の甲板では、鉄床の上に床材が敷かれる。

その上に直径四~五mもあろうかと思われる、裁割用の丸テーブルが作られる。

こうして、社員、乗組員の総力で工場造りは母船全体の仕事として行われる。

工場を作り終えた大工は、それぞれの部署へと配属される。

とても、活気があり威勢の良い職場に感じられた。

これも活気になるのだろうか。

工場が稼働すると、一日中工場に音楽が流れるのだ。それも演歌だ。

就業時間が長いので、退屈防止と眠気防止のためであった。

母船には、船舶関係者と会社関係者が乗船している。

船舶関係者は、船の安全航行を維持する部署である。

会社との関係は次の漁区へ向かう指示を受ける。

そして、その漁区へ決められた時間まで着けなければいけない。

船舶関係者は、航行安全管理が仕事である。製造に携わることなどない。

けれども例外がある。

タラバが大漁で生処理できなくなり残りそうな場合、船舶関係者も蟹の仕事を

しなければならないのだ。それは、決まって脱甲作業だ。

歳の若い順番にかりだされる。

若い船員はゴム河童などしたことがないので、タラバのミソやべトで作業服

までベトベトに汚れる。

そこに、横なぐりのミゾレの吹雪が吹く。いくら仕事とはいえ可哀想であった。

製造部門は、ただただ缶詰の製造をするのみなのである。

日ソ漁業協定で妥結した箱数を目指して、タラバを漁獲し缶詰を製造するのである。

その製造部門の作業の第一歩が工場造りなのだ。

そしてもう一部署がある。

蟹工船が成り立つ為の大事な部門である。漁労部である。

漁労部の最初の仕事として、網関係、おもり、浮き球などの数を確認する

作業である。勿論、函館で確認済みではあるが再度確認する。

何度確認作業をしても、このカムチャツカの海上では過ぎることなどない。

数え間違いで足りなくなった、すぐに届けてくれと言っても叶わないのである。

そんな、大事な漁労部は船の艫(とも)を仕事場としている。

艫とは船の後ろの方である。

艫には網を保管するやぐらが組み立てられている。

これを見たらすぐに漁船だと分かる。母船の表と艫の造りは全然違う。

製造部も漁労部も、漁場に着くまでに準備万端でなければならない。

着いた次の日から操業開始なのだ。

その前の日まで、蟹工船は八時間労働なのである。八時間労働はほんとうに短い。

朝八時から夕方五時で終業である。あっという間に終わってしまう。

朝飯前の仕事もないし、晩飯後の夜業もないのである。

これほど嬉しいものなどない。

この実感を切り上げ後も味わえるのである。

今に思えば、蟹工船時代の写真を、一枚でも撮っておけばよかったなぁ、

と悔やむ。

でも、乗組員のなかで写真を撮っていた人などいなかった。

結局、わたしの蟹工船の思い出は、全部こころのなかにある。

あっ! そうだ!

そういえば、総務課の坂本氏が、写真を撮っていたンじゃないかなぁ。

そうだ。そうだ。思い出した。あのヒゲの濃い、坂本さんだ …

たしか …、乗組員の労働写真を撮っていたなぁ…。

わたしたちも写真を撮られたよなぁ~…、

一枚ほしいなぁ…

もしあるのなら、川崎船の網あげと、夜の裁割の写真が…ほしい…。

坂本さ~ん !

船員の脱甲作業

若い船員の脱甲作業後の姿。

キレイに描きすぎたかな。

闇に舞う、二匹の紋白蝶

蟹工船操業開始、一日目の早朝。

ガラガラガラッ、ドドドドッ、ガラガラガラッ、ドドドドッ、

ドッドッドッドッドーンッ、と、とてつもない想像を絶する大音響が、

部屋中に鳴響いた。部屋が震えだした。寝ていたが頭が小刻みに震えた。

枕もとの時計を手探りで、目の前に引っ張り出した。午前二時四十分だ。

飛び起きた。

いったい何が起きたのだ。何かに船がぶつかったのだろうか。

蔵田氏に聞こうと思いベッドに目をやった。彼はいなかった。

カーテンは開かれて毛布はきれいに畳まれていた。もう、働きに行ったのか。

どうやら、新兵(初航海)の人だけが驚きの中にいるようだ。

その他全員カーテンは引かれたままだが起きている。

とてもじゃないが黙って寝ていられるわけがない。

こんな大音響など初めてだ。あぁっ!うるさい!と、大きな声で叫んだところで、

この大音響にかき消されるだろう。

この音のことを部屋の人に聞いた。

あの大音響は両舷に五隻ずつ吊ってきている川崎船を、

母船から吊り降ろす時の音であるという。

降ろしはじめる時間は午前二時三十分。蒸気ウインチで吊るし降ろすそうだ。

だから、蔵田氏がいなかったのだ。蔵田氏は蒸気ウインチの担当者だ。

下手な人はもっと音が大きいし、川崎船を海に落としかねないという。

これから、毎朝、午前三時前に起こされるのか。

鉄の箱の中で寝ているところを、外からガンガンと金槌や木槌で叩かれているのと

同じことだ。これは、大変だ。寝ていられない。

どうすれば良いのだ…。一日目で、もう困ってしまった。

これをカムチャツカ洗礼というそうだ。

ここへ来たら、まずこの洗礼を受けなければならない。

教会の洗礼は一回だけ受ければよいのだが、カムチャツカ洗礼は毎日だ。

これは、とんでもない所へ来たものだ…と、わたしは思った。

ところが、まだ、蟹工船の本来の洗礼を受けていないのだ。

蟹工船の洗礼は、二つの地獄との戦いである。

この戦いは四か月先の切り上げまで続くのだ。

一回目の航海のときに、この戦いに負けそうになり精神が折れそうになった。

仕事がきつくて、きつくて、そして、

眠くて、眠くて、倒れるのではないかと思ったのである。

実はわたしは、今まで一度も出合ったことのない敵と戦っていたのだ。

カムチャツカ戦士(九労働と睡魔大王)と丸裸で戦っていた。

経験という鎧や兜、覚悟という刀さえも持っていなかったのである。

これは初陣としては、過酷極まりない戦であったに違いなかった。

毎日、襲いかかってくる九労働の兵士や睡魔大王の誘いを、

右に左に投げ捨て踏みにじり生き抜いてきたのだ。

この頃わたしは、蟹工船では何ら珍しくもない、立寝を身につけていた。

これには大変助けられたのはいうまでもない。

二年目の航海のときに、わたしは覚悟を固く決めた。

必ず、わたしは二つの地獄を制覇して見せる! と。

兜鎧も身に着けたし折れない刃も得たのだ。

この強い決意が、わたしに「強い信念は、精神を制す」という心構えを

授けてくれたのだ。わたしのなかに眠っていた、もう一人のわたし。

その自分に二十歳に会えるとは思ってもいなかった。

仏教好きのわたしが、今にして思う信じがたい出来事のひとつであった。

ところで、ガラガラガラッ、ドドドドッッ、の、

あの大音響の蒸気ウインチの運転席はどこにあるのか。

表のウインチは、母船中央から表よりの甲板の中央の少し高いところにある。

中央にあるため、母船の真下の海面は蔵田氏からは確認できない。

当然、波、うねりも見えない。

それでは川崎船を吊り降ろせない。

波、うねりの背に川崎船の腹が打たれたら、川崎船が浮き上がる。

そうすると、引っ掛けているウインチのカギフックが外れるおそれがある。

もし、片方のフックが外れたなら、川崎船は片方だけで吊り下げられ、

船はぶら下がり状態となる。

当然、乗組員全員海に投げ出されるのだ。

運よく両方外れたとしても、海面に打ちつけられ、これまた全員海の中である。

四月のカムチャツカの天候は、毎日みぞれ交じりの吹雪だ。

そんな海に投げ出されたら、命を失う危険性もある。

そこで、蔵田氏の代わりの眼となる人が必要なのである。

波、うねりの状態を素早く正確にウインチに伝達してくれる人物。

それがボースンだ。

この川崎船吊り下ろしの作業を、「B&Kの緊張」(ボースン&蔵田の緊張)という。

両氏の信頼関係には、川崎船乗組員全員の命がかかっている。即席では成り立たない。

ここカムチャツカまできて、誰彼のいのちが大事であるという見方はできない。

誰に限らず、ある意味全員、貴重人物だからだ。

だが、川崎船の彼らは間違いなく重要貴重人種に違いない。

彼らは漁師の中の漁師。カムチャツカ貴重人種なのである。

彼らに代わる人物など、この船国には存在しない。

兎が飛ぶ海で、働いている彼らの姿を一度でも見たなら、何か神がかった

信じがたい光景として見えるだろう。

板子一枚地獄などというが、そんな世界など地獄ではない。

沖が白波たってきたら、母船から百メートルのところで働いている川崎船が見えないのだ。

波とうねりの狭間に隠れて見えないのである。

川崎船の船内は、機関長一人だけ入れるスペースしかない。

勿論、機関室の扉などない。

乗組員は、腰高の甲板塀の上にロープ一本引いてある艫で、

時化の時には波をかぶりながら、網揚げし蟹を外すのだ。

大きなモッコ網に、タラバのフンドシの付け根側を、

きれいに四角く積み上げ並べていく。

その積み上げた高さが、一・五mぐらいになると、ひとモッコできあがる。

それが、三~四つ出来ると母船に戻り荷揚げする。

これを三~四回操業し一日が終わる。

やがて日が経つにつれて、彼らの頬骨あたりの皮膚は、

潮焼けとなりただれてくる。顔も陽と潮風に焼けて濃いアンティーク色になる。

そんな彼らの生命が、ボースンの両腕と蔵田氏のウインチの技にかかっている。

そのボースンのいでたちたるや、カムチャツカの花ともいえる。

着ている上下服は牛黒皮。勿論、帽子もブーツも牛黒皮である。

唯一、手袋が真っ白であった。

蔵田氏にボースンのいでたちのことを聞いたことがある。

黒色の服を着るのは、手袋の白を目立たせるためだという。

黒だと周りの闇に溶け込み、真っ白な手袋だけが蒸気ウインチの運転席からよく見る。

ボースンは、毎日、新品の手袋を使うという。同じ手袋を二日使わない。

手袋にひとつのシミも汚れもあってはならないからだ。

彼の最大級の仕事へのこだわりである。

皮を着るのは、体の保護と寒さ対策のためでもある。

母船の縁に立っていると、下から吹き上げてくる潮風がたまらなく冷たい。

蔵田氏はいう。

「ボースンのあの真っ白な手袋が、オレの眼だ…」と。

わたしは蔵田氏に誘われ、川崎船の吊り下ろしを何度も見に行った。

船を降りたら見られないので、見ておきなさいといわれたのである。

これこそ、蟹工船に乗船しなければ、絶対見られない光景だ。

それも間近で見られた。普通では絶対ありえない。

蔵田氏の配慮のおかげである。

B&Kの緊張を、もう一度再現してみょう。

西カムチャツカ、午前二時半。

裁割テーブルのまわりに、防寒着の上にゴム河童をはいている、

貴重人種が集まっている。川崎船乗組員だ。その数六十名。

一隻に乗組員は機関士を入れて一〇名程度。六隻分の人数だ。

表側(船首)の川崎船の吊り下ろしは裁割ウインチで行われる。

後、四隻分は艫側(船尾)の漁労ウインチで行われるのだ。

その時、B&Kは、艫(とも)に移動する。

これから貴重人種は、川崎船に乗り漁場に向かうのだ。

彼らが吐くアルコール臭い白い息が、みぞれと絡み合いながら横に散っていく。

四月のカムチャツカは、毎日といっていいほどみぞれ交じりの吹雪だ。

カムチャツカの闇が、裁割のライトに照らされ沖へと後ずさりしている。

母船が揺れるたびに、闇が近づき離れていった。

その闇にみぞれが突き刺さっていく。

そんななか、貴重人種も蔵田氏もある人物を待っていた。

闇は変わることなく、その深いふところへ吹雪を抱きこんでいく。

やがて、その人物が鈍く光る黒いかたまりとなって、闇の中へ現れた。

全身黒尽くめの男。ボースンだ。

貴重人種達がボースンと朝の挨拶を交わす。

右舷表側の一隻には、もうウインチのフックがかかっていた。

それを確認したボースンが、右舷甲板縁の川崎船の吊ってある所定位置に立った。

「ピッピッピッピ」突然、闇を貫く甲高い笛の音が鳴り響いた。

ボースンが、笛を吹きながら両手を水平に保つ。

手のひらを上に向け、小刻みにゆっくり上下に振った。

真っ白な紋白蝶がカムチャツカの闇に舞う。

それを合図に、蔵田氏もゆっくりとウインチを巻き上げた。

川崎船が、ガッツ、ゴトゴトと濁った音をたてた。

まるで、子供が無理やりに起こされ寝ぼけている動作にも似ていた。

ウインチが軽やかな音をたてながら、川崎船を持ち上げた。

そして母船の甲板と同じ高さまで下ろし止めた。

貴重人種たちが乗船する。

「ピッ」ボースンの両腕が、水平から垂直になった。

川崎船が母船から少し離れた。

また「ピッ」と、笛を吹きながら垂直になっていた両腕を水平に戻した。

蝶

     蝶が舞う


今度は「ピッピッピッピ」と小刻みに吹きながら、

手のひらを下に向け上下に少し揺らした。

と同時に、川崎船がゆっくりと海へと降りていった。

海面近くに来ると、上下に動かしていた手のひらが「ピッ」と笛の音とともに、

水平の位置を保ちながら止まった。ウインチもピタッと止まる。

ボースンが真下の海を見ている。

波とうねりの背が、一番高くなる手前を見計らっているのだ。

突然、「ピッピッピッピ」と笛を吹きながら、両方の手のひらを上下に振った。

それを合図に、ウインチがスーッと下がった。

川崎船が、音をたてることなく海に吸いついた。

下りたのだ。

ボースンは、その時々の波やうねりの状況に合わせて、

上下に振る腕や手のひらの速度を変えるのである。

その早さで、ウインチを降ろす速さが決まるのだ。

蔵田氏は、笛の音と闇に舞う二匹の紋白蝶を見ながらレバーを作動し、

川崎船を海に吸いつかせたのである。

彼らは緊張の刃の上で、この命を削る作業を一日二十回も行うのである。

ボースンの二匹の紋白蝶の舞いは、川崎船の左側を上げたい場合は、

左の手のひらを上に向け上下に動かす。右側を下げたい場合は、

右の手のひらを下に向け、上下に動かす。

一気に上げる場合は、両方の手のひらを上に向け、上下に激しく振るのである。

ボースンの手のひらは、カムチャツカの闇に舞う紋白蝶なのだ。

腕と手のひらの上下動作だけで、B&Kはカムチャツカのうねりと波から、

貴重人種のいのちを護っていたのである




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蟹工船 協宝丸の世界

記憶をたどり書き続ける ノンフィクション物語

西カムチャツカ 蟹工船 協 宝 丸

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